「禅修行の法悦」( 月刊コラム【No.76】2009年9月 )

中国宋代の黄龍祖心禅師(1025-1100)は晦堂(まいどう)祖心ともいい、建仁寺開山栄西禅師がその法脈に連なる名僧であり、その嗣法の弟子には死心悟新禅師や霊源惟清禅師などの卓越した禅僧がいる。有名な黄庭堅(山谷)も在俗の身で祖心禅師の法を嗣いでいる。

十歳にして出家得度され、長じてのちに雲峰文悦禅師に参じること三年、何らの所得もなく辞去せんとしたところ、文悦禅師は「必ず黄檗山に住する慧南禅師の道場に行ってご指導を受けよ」とさとした。そこに弟子の大成を願う、法に対する古人の大悲心が感じられる。

祖心禅師は黄檗に至って慧南禅師のもとで刻苦すること四年、しかもなお開悟することはできなかった。この道場は自分には機縁がないと思われたのか、また辞して文悦禅師のところへ戻られた。文悦禅師が遷化されたのち、石霜山にとどまって修行に専心した。

或るとき、中国の禅宗史である『景徳伝燈録』を読んでいて、「僧が多福(無字の公案で有名な趙州の法嗣)に、『多福の竹林とはどのようなものか』と問うと、多福は『一本、二本は斜めの茎だ』と答えた。僧が『分かりません』というと、多福は『三本、四本は曲がっている』と応じた」という箇所に出くわした。竹に託して多福の家風をたずねた僧に対して、実際の竹の光景をもって答えたのに妙味がある。この一段に至って祖心禅師は開悟して、自分がいままでついた二人の老師の作略(さりゃく、修行者を導く手法)の何たるかを徹見した。

ただちに黄檗に戻り、慧南禅師に対して礼拝の坐具をのべようとしたところ、慧南禅師がすぐさま見抜いて、「お前はすでにわしの宗旨を会得したわい(わが室に入れり)」というと、祖心禅師は跳(と)んで踊らんばかりに歓喜して、「仏法の一大事は本来このようなものなのに、どうして老師は公案などを使ってあれこれと探索させられたのですか」と問いただすと、慧南禅師は、「もしわしがお前をそのように究め尋ねることをさせて無心の境地に到らしめ、みずから見て、みずから納得するような体験をさせなかったならば、わしはお前を台無しにしたことであろう」といった(『五燈会元』巻第十七、黄龍祖心禅師章)。

祖心禅師の見性開悟の機縁をながながと述べたのは他でもない。ここに公案修行の意義が如実に言い表されているからである。黄龍祖心禅師のような名僧でも、真の開悟までは並大抵のご苦労ではなかった。今日の修行者たちも中途で挫折することなく道心を保持して骨折りを続けていけば、必ずや光明盛大なること明白である。工夫三昧の法悦を味わうことなく過ごせば、道場に長くいる甲斐があるまい。

これまでこのコラムで何度も触れたことのある七十七歳の米人哲学者から数ヶ月ほど前に、「私は父母未生以前の本来の面目ということがどうもまだ合点が行きません。どうかこの問題を解決するための公案を与えて下さい」というメールが来た。彼自身はこの問題を解決するためにふさわしいと思われる公案の名を挙げてきたが、小衲はそれよりも『碧巌録』第一則の「達磨廓然無聖(かくねんむしょう)」の公案を見るように勧め、「くれぐれも頭で考えられることなく、ただ廓然無聖の公案三昧になって四六時中過ごされんことをご祈念致します」とアドヴァイスした。

二週間ほどして送られてきた法悦あふれるメールからは、彼がじつに真正直にこの公案に分別なしに取り組み、大歓喜を得たことがうかがえた。「達磨も悦峰(The Peak of Joy、小衲が付与したこの老哲学者の居士号)であることがよく分かりました」とは、彼の悦びの叫びに他ならない。それにしても長年ギリシャから近代に至る哲学の研究に専念してきたこの老哲学者が、膝が悪いがために椅子坐禅しかできないにもかかわらず、かくも分別を放下(ほうげ)して素直に工夫し、遂には大歓喜に達し得たのは感心する他はない。坐禅会の提唱でこの米人老居士に言及して諸氏を策励すること再三である。

小衲が雲水修行に出る前に師匠から頂戴した一枚の墨跡の絵葉書がある。中国南宋時代の名僧、虚堂智愚禅師(1185-1269)の「秋風の偈」を大徳寺開山・大燈国師が書かれたものである。「秋風浙々(せきせき)、秋水冷々、千辛萬苦、笈(きゅう)を負い簦(とう)を担う」というのは、夏安居(げあんご)の修行期間が終わり、これから行脚雲水修行の旅に出る弟子たちに向かい、虚堂智愚禅師が、「夏安居の解制になり、秋風がざわめき、流水も冷たさを感じる昨今であるが、これから諸大徳は笈(おい、書物などを入れて背に負うもの)や簦(かさ)を担って測り知れぬ苦労の旅にでるが、どうかその辛苦に負けて挫折するすることなく、工夫三昧で大器を成就してもらいたい」と餞別の偈頌を唱えられたものである。愛弟子たちに対する名僧の切なる親切心が感じられる。

この葉書を頂いた師匠は小衲にとっては実際にその座右に近侍して仕えた方でなく、他からの指示によりやむを得ずそうなったいわば名義上の師匠であり、またご自身も長い雲水修行をした方ではなかったが、この葉書を下さった時の光景が今でも忘れられない。ときおり思い出しては懐かしさと感謝の念がこみ上げてくる。餞別として頂戴したのはこの葉書一枚であったが、小衲にとっては何よりの餞別であった。

いずれの師匠も弟子の大成を願わぬ人とてない。在家出家を問わず、禅の修行を志す方々は、思う存分工夫に打ち込んで、痛快な法悦を得て報恩の実を尽くして頂きたいものである。


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