「子弟の教育」(月刊コラム【No.82】2010年3月)

光雲寺の弟子の一人がいま臨済宗の専門道場(僧堂)で修行中である。ようやく三年が過ぎて四年目に入ったところであるが、安居(あんご、修行期間)が変わる半年ごとに暫暇(ざんか、休暇)を頂いて、光雲寺に帰山させている。つい先月も二週間暫暇したのち、また僧堂に戻っていった。

修行中の雲衲を弟子としておられる尊宿の中には、「うちの弟子は三年間無暫暇でやり通させる」と堅固な決心を抱いている方もおられると聞く。だが小衲は、自分自身の経験から、弟子たちにはこれまで僧堂にお願いして暫暇をさせてきた。

専門道場は規矩厳然としているのが確かに長所ではあるが、道心のある者は、時として規矩に束縛されることなく思う存分坐り込んでみたいという思いの起こることもあろう。独摂心(ひとりで坐禅三昧の工夫をすること)もこの時にこそ可能である。

また、僧堂での在錫年数が高くなると、老師や高単の役位からでなくてはなかなか注意を受けることがないので、どうしても自分が何か偉くなったように勘違いして増上慢になりがちであるから、厳格な本師の点検を受けて自らの到らぬところを指摘してもらわねばならぬ。また弟子の方でも師匠の親切心を感じ取って、我見を捨てていわれるがままに従っていく素直さが肝要である。

僧堂では書見はできないから、暫暇した時には越格底(おっかくてい、ずば抜けた境涯)の古人の行履(あんり、行状)を学んで道情を養うことを忘れてはならない。かの臨済宗中興の祖といわれる白隠禅師でさえ、修行の合間に祖録を拝読することにより幾たびも大歓喜を得られたと伝えられる。「禅堂裡に坐禅弁道し、明窓下に古教照心する」というのが車の両輪の如く必要であるのは、白隠禅師の一番の法嗣である東嶺禅師も述べておられる通りである。

禅的生活の醍醐味を味わうためには、なんと言っても願心をもって日々修行に励むことである。全身全霊を打ち込んで四六時中公案工夫に没頭していると、えもいえぬ法悦(すべてを空じ尽くした無所得の法悦)が自然(じねん)に感得されてくるから妙である。法悦が育ってくれば、僧堂生活はますます充実してくるから面白い。

住職資格を取るだけのために不本意ながら僧堂修行をする者は、できるだけ修行を短期間で終えようとする。それではせっかくこの上もなき道に入った甲斐がないというものである。父親が師であるのは息子にとってよくないと思われ、他の有徳の尊宿にわが子を預かり弟子として托される和尚様もおられるのは貴いことである。

いずれの尊宿方もご自分の子弟の教育に日夜腐心しておられることであろう。小衲は暫暇してきた弟子に向かい、「ここは僧堂とは違い、自由時間が多い。こういう時にこそ道心ある者とそうでない者との差がはっきりする。ぬかりなく坐禅弁道し、古教照心に励むように」と訓戒した。

日常の一挙一動に関しては至らぬところがまだまだ目につくので、その都度再々にわたり注意した。僧堂の老師にはなるだけ長く下積みをさせて頂き、できるだけ長く僧堂に置いて頂くようにとお願いしてある。雲水の在錫年数が短いのを嘆かれる僧堂師家方は多いのである。

とはいえ、半年ぶりに彼を見た坐禅会の旧参の人の中には、「風格が出てきた」と彼のことを認める者もいた。毎回暫暇のたびごとに二、三日の休暇を取らせて実家に帰らせるのであるが、そうすることで実家や親戚に法の潤いが生じて、一族の希望の星となっていくのが如実に見てとれる。これが上求菩提即下化衆生(自らの向上の道がそのまま他を教化することになる)ということではないか。済度しようと思わないのに、期せずして済度になっているのが好い。

この弟子に対して僧堂に掛搭する前に読み聞かせた『雛僧要訓』の序には、「能(よ)くこれによって行いて怠らざる則(とき)んば、後日必ず明眼の宗師も崖を望んで退く底(てい)の妙高峰と成らん」とあった。この要訓をぬかりなく守り行っておれば、他事異日、悟りを開いた名僧ですら、その威風を見ただけで後ずさりするような高峰の如き妙(たえ)なる禅僧になることができるというのである。

このことがいかに困難であるかは身をもって知ってはいるが、師匠としては弟子の大成を祈らずにはおられないのである。「少なくとも師匠勝(まさ)りの弟子になれよ」というのが、小衲の口ぐせではある。「見、師と等しきときは師の半徳を減ず、見、師に過ぎて初めて伝授するに堪えたり」であり、「投げられて親方喜ぶ、相撲取り」である。