「『東福門院と光雲寺』展」( 月刊コラム【No.77】2009年10月 )

この光雲寺では2年前に「東福門院と光雲寺」展を開催したことがある。好評ではあったが、何分にも南禅寺禅センターとして修学旅行生はじめ多くの坐禅希望者を受け容れていたので、三日間しか期間がとれず、苦情を頂戴した次第であった。

今回は多くの皆様方のお力添えにより修復がなった、木造東福門院像・伝運慶作の東福門院念持仏の聖観音像に加えて、光明皇后が印度僧から譲り受けられた仏舎利を祀る舎利塔(菊と葵の御紋入り)・伝聖徳太子作で足利尊氏所有と伝えられる弘誓(ぐぜい)観音像・金光明最勝王経の版木・中興英中禅師自筆の「光雲門下訓誡十條」など、初公開のものも多数含まれる。

期間は平成21年11月22日(日)より28日(土)までで、時間は午前9時から午後5時まで(ただし最終日は午後4時まで)である。日頃は一般公開をせずに拝観希望をお断りすることがほとんどなので、このたびはなるだけ多くの人たちにもお越し頂けるようにと、ちょうど紅葉の時節に合わせて特別展示会を開催することにしたのである。どうぞお誘い合わせの上、この機会にぜひ光雲寺の寺宝をご覧頂ければと願う次第である(志納料500円。ただし、お力添え頂いた方々にはご招待状をお送りする予定です)。

また、80歳になられる出雲焼の名工・長岡空権(くうごん)師が、庫裏の耐震補強計画中のわが光雲寺のために、伊羅保茶碗を百碗ばかり作成して下さる予定である。試作品のいくつかを拝見するに、誠に見事な出来映えである。興味のある方は展示会の折りにご覧頂き、ご注文頂ければ幸いである(志納金、一碗につき8万円)。

前庭はすでに整備が終わり、京都市文化財保護課の指導により、植治作の中庭がいま池の護岸工事の最中であるが、これも11月22日の展示会初日の当日までは、何とか水を張って形を整えることができそうである。

とはいえ、いくら伽藍が整備されようが、それだけでは「仏造って魂入れず」になりかねない。この場合、伽藍が造形物としての「仏」(仏像)であるとすれば、人材の育成こそが寺院の「魂」ということになるであろう。禅寺における「人材の育成」とは、在家出家を問わず、真に道心のある人物を育てることである。道心とは菩提心のことであり、自分ひとりの安心立命をこととせずに、ひたすら仏道に精進をする人である。仏道との出会いによって、いかに充実した人生が送れるかということは、小衲のような者でも自信をもって断言できる。

光雲寺中興の英中玄賢禅師が寛文6年(1666)に制定された自筆の「光雲門下訓誡十條」には、仏弟子としての心構えが一条一条ごとに説示され、それに背く者は光雲寺から「出院すべし」と、まことに厳格に規定されている。寛文4年の光雲寺中興当時には、50人の英霊漢達が5300坪の境内の中で切磋琢磨していたと伝えられているが、その大人数ではおそらく本筋を逸脱するようなふらちな輩もいたことであろうことは想像に難くない。

たとえば、「訓誡」の第3条では、「仏弟子としてはつとめて師命に従うべきである。仏陀の戒律には父母と師匠である僧に孝順でなければならぬとある。孝順こそは至極の大道の法である。・・・師匠の恩はもっとも大なるものであるから、いちいちの教示訓誡に四六時中背くことはあってはならぬ。ましてや師匠の訓誡と衝突するなどもってのほかである。そのような者は仏弟子ではない。光雲寺を下山すべきである」と厳しく規定してある。

「光雲門下訓誡十條」の全文はいずれまたお目にかける予定であるが、それにしても、光雲寺山内修行者の基本的心構えが説かれた、光雲寺にとって一番大切なはずのこの中興禅師自筆の文書が、無造作に丸められて長持ちのなかに放置され、虫食いだらけになっていたことは(このたびはもちろん修復して、巻物として展示するが)、近年の光雲寺の法燈がいかに下火になっていたかを物語っているのではないか。この「光雲門下訓誡十條」の五条までが彫られた扁額も、廃屋同然の納屋の屋根裏から発見されたが、それも目下修復中である。

庫裏の耐震改修完了まではまだまだ遠い道のりであるが、伽藍が整備されてからは、いよいよ光雲寺の法燈の再興の仕事をしなければならない。皆様方の越格(おっかく)なるご支援・ご法愛をお願いする次第である。

願わくは、われらと衆生と皆ともに仏道を成ぜんことを。


(なお、10月の月例坐禅会は、本山行事のために、4日の第1日曜日と25日の第4日曜日になります。11月は上記展示会開催のために、8日の第2日曜日と29日の第5日曜日になります。土曜日の夜坐禅は変更はありません。)