「われ以外みなわが師なり」2014年5月【No.131】

「切磋琢磨」という言葉がある。朋友が互いに励まし合って向上するの意味に用いられるのが通常であるが、元来は中国の四書五経の一つである『詩経』衛風・淇奥(きいく)篇の「瞻彼淇奥、緑・竹猗猗、有匪君子、如切如磋、如琢如磨、瑟兮僴兮、赫兮咺兮、有匪君子、終不可諼兮」(彼の淇奥を瞻【み】るに、緑・竹猗猗【いい】たり、匪【ひ】たる君子は、切するが如く磋【さ】するが如く、琢するが如く磨するが如く、瑟【しつ】にして僴【かん】、赫【かく】にして咺【けん】、匪たる君子、終に諼【わす】るべからず)に由来する。

その意味は、「淇水の隈【くま】を眺めれば、緑【かりやす】・竹【とくさ】が美しい。うるわしき祖霊は、磨き上げた骨や象牙、玉や美石の如く、力強く威厳に満ちながら、かがやかに光彩を放つ。うるわしき祖霊よ、いつまでも我々のことを忘れずに見守りたまえ」(『詩経』上、154頁、新釈漢文大系)というものであり、きらびやかに降りたった祖霊を祀る詩である。この中の「如切如磋、如琢如磨」の語が、後世『大学』の「切するが如く磋するが如しとは、学を道【い】うなり。琢するが如く磨するが如しとは、自ら修むるなり」という解釈により、自己研鑽の意で用いられるようになったのである。また『論語』学而篇にも「いやが上にも立派にする」という修養の意で引用されている。

そうした自己修養の意がさらに時代を下って「朋友が互いに励まし合って向上する」という「切磋琢磨」の意味となったのは故【ゆえ】無しとはしない。向上の一路を目指して自己研鑽するもの同士の出会いは、期せずしてお互いを錬磨する好機をもたらすものである。

ここで小衲が想起するのは、神戸の祥福寺僧堂の師家で妙心寺管長にもなられた名僧・山田無文老師の学生時代の逸話である。当時の花園大学は学生の接心(一週間の集中的坐禅修行)を京都・八幡の円福寺で行っていた。師家は神月徹宗老師であった。禅堂で懸命に坐る無文老師の反対側には、後の埼玉の平林寺僧堂師家となられた白水(しろうず)敬山老師が坐っておられた。敬山老師は博多の聖福寺で道力のある東瀛(とうえい)老師についてすでに見性(お悟り)を済ませていた旧参の修行者であった。無文老師が結跏趺坐の痛みと悪戦苦闘している時、ふと眼を見開いて敬山老師を見ると、微動だにせずに坐っておられる。負けるものかと奮起して坐り込み、遂に三昧境に入ることが出来た。参禅の帰りに銀杏の真っ黄色い葉を見た途端、無文老師は見性して飛び上がるほどの新鮮な驚きを体験されたということである。「わしは今でも敬山老師に感謝しておる」と述懐しておられる。まさに道心ある方の出逢いによる「切磋琢磨」の好見本である。

実は無文老師は、小衲が昭和47年の春、まだ出家前の大学院生の25歳の頃に初めて僧堂の大接心に参加した時の師家であった。円熟した老師の何とも言えぬ有難い提唱振りがなお耳底に残っている。この大接心では小衲は数息観を四六時中行うことによって、茶礼の際に自己を忘ずる体験をした。数息観に没頭するあまり、飲み食いを忘れてしまったのである。隣単の雲水が「君はずるいではないか。あとで食べるために残すのか」と言われて、初めて自分が茶礼のことをすっかり忘じていたことに気づいたのである。坐禅に志した当初にこの様な経験が出来たのは、無文老大師並びに切磋琢磨していた満衆の祥福僧堂の雲衲方の醸し出す環境のお蔭であったかと感謝している。接了後には世界が一新して広闊となり八面玲瓏になった思いがしたものである。

自分がその気であれば、向上に資する機縁を頂くことが出来る。南禅寺の塔頭(たっちゅう)に、いつ伺っても作務三昧の尊宿がおられる寺院がある。本山の内局の尊宿方も、宗務総長さんを筆頭に早朝の境内清掃をしておられる。中国唐代の名僧・百丈懐海禅師の「一日作(な)さざれば、一日食らわず」の実践である。いずれも拝見するたびに身の引き締まる思いがする。他宗ではなかなかこの様な光景を見ることは少ないのではなかろうか。

小衲の建仁寺僧堂での修行時代に、湊素堂老師が提唱で吉川英治の「われ以外みなわが師なり」という言葉に感激の面持ちで言及されたことがある。この言葉は吉川英治の人生哲学の結晶ともいえる座右の銘であり、その著書『新書太閤記』の中に次のように述べられている。

「秀吉は、卑賤に生れ、逆境に育ち、特に学問する時とか教養に暮らす年時などは持たなかったために、常に、接する者から必ず何か一事を学び取るということを忘れない習性を備えていた。だから、彼が学んだ人は、ひとり信長ばかりでない。どんな凡下な者でも、つまらなそうな人間からでも、彼は、その者から、自分より勝る何事かを見出して、そしてそれをわがものとして来た。――我れ以外みな我が師也と、しているのだった。」

吉川英治は亡くなる二年前の昭和35年に文化勲章を受賞したが、その日の朝に「菊の日や もう一度紺(こん)がすり 着てみたし」という句を詠んだという。「自分は本日文化勲章という最高の栄誉を頂くが、自分には似つかわしくない晴れがましい勲章よりも、いま一度あの紺がすりを着て苦学したあの頃に戻って研鑽したい」という心持ちであろう。我れ以外みな我が師也を信条とした作家にふさわしい謙虚な言葉である。この珠玉の言葉ひとつを生み出しただけでも吉川英治は文化勲章に値するのではないか。

われわれもいかなる社会的地位や名誉を得ようと、またどれほど歳を重ねようと、「われ以外みなわが師なり」という謙虚な態度を堅持してお互い切磋琢磨していけば、楽しく充実した向上の一路の人生を歩めるのではないであろうか。