「南禅寺禅センターの坐禅研修」(月刊コラム【No.112】2012年10月)

光雲寺では大本山南禅寺からの委託を受け「南禅寺禅センター」という看板を掲げて一年中坐禅研修希望の団体を受け容れている。別に毎土曜日(夜8:00より9:00)の夜坐禅と第二第三日曜日の坐禅(午前8:30より午後2:30)を行っているが、禅センターの坐禅は特に増加の一途を辿っており、今月の10月ひと月の研修希望者だけで過去最高の2300人に達する予定である。

その中で一番多いのが何といっても修学旅行の小中高の生徒たちであるが、このように坐禅希望者が多い理由の一端は、生徒たちに坐禅体験をさせることによって、昨今よく見られる「いじめ」などの心の乱れから生徒たちを救い出したいという切実な思いが先生方にあるからではないか。現場の先生方のご苦労が並々ならないものであり、中にはそのために心の病にかかってしまう先生も多いというのはよく聞くところである。

それでは実際に生徒たちを相手に坐禅指導をしてみた経験からどのようなことがいえるかといえば、生徒たちは思いのほか熱心に坐禅に取り組んでいるように思える。愛知県稲沢市からやってきた小学生の一行は、「本当に坐禅の工夫が乗ってきた人は、線香一本の時間の坐禅が終わったからといって足を解いて工夫を中断するのは勿体ないという気持ちになるはずです。そのように思う人はどうぞ足を解くことなく続けて坐って頂いて結構です」というと、何とほとんどの生徒がそのまま足を解くことなく坐ったままであった。中には本式の結跏趺坐を組んでこちらが感心するほど立派な坐相で坐っている者もいた。そして彼らのほとんどが合掌して住職の警策を所望したのである。これには先生方も痛く感動した様子であった。

神奈川県の川崎市から中学生のひと組からは、「修学旅行という義務教育最後の旅で、最高の思い出をつくることができたことに感謝し、私たちが縫った『感謝の雑巾』を納めさせて頂きます」という伝言と共に、彼らが心をこめて縫ったと思われる雑巾が沢山贈られてきたのは感激の極みであった。また愛知県のある小学6年生は、「坐禅を組むと心がおちついて、ほかの事が頭にうかんできません。実際に勉強の前に坐禅を組んでいるのですが、勉強に集中でき、気持ち字が少しきれいになった気がします.本当にありがとうございました」と、帰ってからも坐禅に取り組んでいる様子がうかがえる。

また障害をもった生徒たちもよく坐禅に参加する。石川県から付き添いの先生たち数名とやって来た全盲の中学3年生の生徒は、なかなか熱心に坐禅をしていたが、光雲寺での坐禅の感想を点字(翻訳付き)で次のように書いて送ってくれた。

「実際に坐禅の体験をしてみて思ったことは、雑念を払って心を清めるということが難しいということです。住職の方も呼吸だけに集中していたら自分の手にパンと飲み物があるのも気づかなかったということを聞いて、どうやったらそれくらい無心になれるのかなと思いました。・・・何をやっていても無心にやっていれば疲れない、疲れるような自分がなくなってしまうということが不思議だと思いました。また無心になれば他人が何を考えているのかがすぐに分かるというのも不思議なことでした。これからも坐禅がどういうものかをたくさんの人に伝えていってください.いい経験ができてうれしく思います。ありがとうございました。」

生徒たちを相手にする先生方ばかりではなく、生徒自身も何とかいまの自分をよい方向に変えたいという切なる思いが、自覚的にせよ無意識にせよあるのではないか。

坐禅指導をするこちらの方も、心をこめてお相手をすることによって得るところは少なくない。坐禅終了後に先生方が感激の面持ちで「どうもありがとうございました」と鄭重なお礼を言われることも再三である。充実した法悦のひとときである。

一般の方々も坐禅工夫をすることによって悩みやとらわれから解放されて悦びに満ちた日々を送って頂きたいものである。