「台湾と日本精神」(月刊コラム【No.106】2012年4月)

先頃ある僧堂の老師からの勧めで台湾に行く機会があった。老師には台湾人の僧侶の案内で行くようにご紹介を頂いたのであるが、多忙な相手に迷惑を掛けるのは心苦しく思い、ちょうど格安の台北旅行の広告を見たのをこれ幸いに申し込んだのである。

台湾は世界中で最も親日的な国であることはよく知られている。台湾の人々は東日本大震災に際しても義援金をもっとも多く200億円以上も寄せてくれた。台湾での調査によると、2011年の最高に幸福な出来事の第1位が、東日本大震災に対する台湾からの義援金額が世界でもっとも多かったことだったという。京都でもよく観光にきている台湾人に出会うことがあるが、「お国はどちらですか」と尋ねると「台湾です」という答えが返ってくる。「中華民国です」という人にはお目にかかったことはない。

小衲が訪れたのは台北市と烏来市であったが、英語よりも日本語の方がよく通じるのには驚かざるを得なかった。蒋介石を祀る中正紀念堂や孔子廟、故宮博物院などの主だったところは廻ることができたが、ツアーのグループの日本人若者らのふざけようには眉をひそめる場面も多かった。台湾の人々も戦前の日本人と比べて、今の観光客の醜態に失望することが多いと聞いている。海外に行って自国の品位を汚すことのないようにお互いに心がけたいものである。

また台湾料理はキノコなどの野菜をふんだんに使って日本人の口に非常に合うように感じた。中国には仏教団の一人として4度ほど行ったことがあるが、台湾の方が町中も遥かに清潔で民度も高い気がした。また足裏マッサージをしただけで、その人の病状を的確にあてるという神業には感心せざるを得なかった。ただ念願の故宮博物院拝観はツアー旅行のため1時間ほどしか時間がなく、消化不良に終わったことは残念であった。

台湾を訪問した人の多くは台湾という国のファンになると言われるが、誠にその通りである。帰国してから台湾についてもっと知りたく思い、蔡焜燦(さいこんさん)氏の『台湾人と日本精神』や、そこに紹介されていた司馬遼太郎氏の『台湾紀行』や小林よしのり氏の『台湾論』を初め、台湾出身の李登輝元総統や金美齢さんや黃文雄氏らの著作を次々と読破していった。それは単なる興味本位からではなく、台湾の経てきた悲哀に満ちた歴史を知ることが日本という国を根本から反省し直すことに通ずるからでもある。

戦後の日本では敗戦の反動から左翼的思想が学会やマスコミを席捲し、わずかに「日本精神」などと言おうものなら、「右翼」や「国粋主義者」などのレッテルを貼られた。政治家もまた然りである。「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」という戦後50周年の終戦記念日に発表された「村山談話」に見られるように、先の大戦をもっぱら国策の誤りと侵略戦争としてひたすら特に中国や朝鮮にお詫びをする不甲斐ない外交姿勢を変えないままである。

マスコミ、ことに大手新聞などは「南京大虐殺」や「百人斬り」や「従軍慰安婦」などに関しては、中国や韓国・朝鮮のいうがままを受け売りしている。終戦後二年半してから生まれた者として、小衲は320万人もの甚大な自国民の犠牲を強いた先の大戦の真意義を知ることが切実な課題としていつも心の片隅にあった。日本の歴史を応仁の乱から戦国時代を経て徳川時代、幕末維新、日清日露、大東亜戦争と長年にわたり研究してきたのも、この課題をなんとか自分なりに明らかにせんがためであった。

小衲は昭和13年から中国大陸で兵役に従事された方から10年ほど前にじかにお話を聞いたことがある。90歳近い温厚なそのご老体は、「戦争中のことはあまり話したくありません」といいながら、中国人の所業を「本当にひどいことをするものです」と吐露された。お国のために力を尽くした父親が帰還してから手のひらを返したように兵隊さんが罵倒されるのを見るに見かねて、そのご老体の娘さんは、「お父さん、こういう本がありますよ」といって名越二荒之助氏の『大東亜戦争を見直そうアジア解放の理想と花開く武士道物語』という本を示されたそうである。そのご老体はご自分の見解をあまり語られることなく、その貴重な書物を小衲に贈呈して下さったが、その内容はまさに先述の親日的な台湾の人たちが語ることと見事に軌を一にしている。そのご老体は以前の部下だった方から定期的に送られてくる原酒数本をいつも小衲にお裾分け下さった。銘酒の芳香な味わいを通じて、今なお心の奥底で結ばれているこの方たちの戦地での生活が決して荒んだものではなかったことを思い知らされたのである。

十九世紀末まで台湾は流民・棄民の「化外(けがい)の地」であった。日本から台湾総督として赴任したのは、樺山資紀・桂太郎・乃木希典・児玉源太郎・明石元二郞など、明治の日本を世界に冠たる国家へと築き上げていった偉人たちであった。その他にも「台湾近代化の父」といわれる後藤新平やそのもとでサトウキビを品種改良して台湾の製糖業の殖産に力を尽くした新渡戸稲造、さらには東洋一の烏山頭ダムを造り嘉南平野を緑の大地に変えた八田與一など、台湾の近代化に尽くした日本人は枚挙にいとまがない。台湾の人々が感謝の念を今に至るまで絶やさないのも道理である。

台湾の多くの人々は「日本の統治時代に整備された産業基盤や教育により戦後の台湾経済がかくも成長したと言っても過言ではない」(蔡焜燦氏の前掲書)と率直に認めている。日本人が自国を褒めるのではなく、統治されていた台湾の人々が賞賛するのであるから、紛れもない真実といってよい。戦前の日本人教育を受けられた李登輝元総統に関して、司馬遼太郎氏は「李登輝元総統は日本人の理想に近い人である」と述べている。それに対して戦後に共産党との闘いに敗れて台湾に逃れてきた「蒋介石政権は、日本統治時代に教育を受けた台湾のエリート層を片っ端から抹殺していった。無辜の人々が、裁判はおろかその罪状さえもないまま凄惨なリンチや処刑によって消されていったのだ.その数は3万人とも5万人とも言われるが、正確な数字はいまだ不明である」(前掲書)。

いまわが国がもっとも注意すべきは中国であることは明白である。李登輝元総統も黃文雄氏も「日本人は中国人の本性を知らなすぎる」と危惧しておられる。黃文雄氏の一連の著作を読むと、いかに中国という国が危険きわまりない国かがよく分かる。それとともに、われわれ日本人は世界でもっとも親日的で、日本のことを曇りのない眼で見ることのできる台湾の人々をもっと大切にしなければならないのではないか。

ネット社会になり、色んな書物や情報が自在に入手できるようになって、人々は次第に戦後の左翼的呪縛から解き放たれて物事の真相を知るようになってきた。日本人がもっと自国の素晴らしさに眼を開いて自信をもち、先人に感謝する時代が次第に到来しているように思われるのである。