「坐禅の功徳」(月刊コラム【No.83】2010年4月)

先月のコラムでは「子弟の教育」に触れたが、毎回新たな参加者が何名かいる月例坐禅会や土曜ごとの夜坐禅、また修学旅行生や一般の人たちがまとまって参加する南禅寺禅センターの坐禅研修も、ここ光雲寺では盛んであり、参加者も増加の一途をたどっている。

最近初めて月例坐禅会に参加した若者がいた。彼は大学院の博士課程で政治学を専攻する学生で、光雲寺に二年半以上寄宿している先輩の人徳に感化されて坐禅を志したという。「先輩が光雲寺に住むようになってから、人格が円満になってみんなの尊敬を集めるようになった経過を目の当たりにして、坐禅の必要を感じました」と彼は心中を披瀝した。

実際、彼の先輩は、大学教授をしておられたお父さんが亡くなってから、光雲寺の檀家になって墓地に建立した墓石の前で、連日ひそかにお経をよんで供養していたのであるが、これは生前の父親に対する彼の気持ちを聞かされていた小衲にとっても、大いなる驚きであった。

学者の中には自分の研究本位で、あまり家庭のことを顧みない人がいるということを聞いている。高名な学者の中にも、奥様がずいぶんご苦労されたという逸話をもつ方もいる。そういう父親に、子息や子女が反発するのは無理からぬことである。小衲のところに相談に来る若い女性の人の中には、教育者である父親との関係がうまくいかずに悩んでいる人がことに多い。

とはいえ、お父さん自身も仕事の上で家族にいえない悩みを抱えながら、黙黙として家族のために日々頑張っておられるという面もあることを分かってあげなくてはならないのではないか。家庭の中での不和は、決してお互いのために幸せなことでも賢明なことでもない。

彼の先輩は多忙な研究生活の中で、夜坐や早朝坐禅を自発的に行っていたが、それだけではなく境内の内外の掃除や作務も厭うことなく参加した。それによって自分でも意識しない間に、いつのまにやら自我が薄紙をはがすようにとれていったということであろう。

自我のとらわれが苦しみのもとである。それから解放されて無我の自分が次第次第に感得されてくるから、心が柔軟になって真心が養われ、ひとの身になって考えられることができるようになるのである。博士論文を刻苦して書き上げ無事に博士号を授与された彼は、亡父の一周忌に際して、古くなってほころびが目立ってきた門幕を、御尊父の菩提を弔うために新調し、それを大学に奉職する自分の初任給をもって充てたい旨、申し出てくれた。亡き御尊父に対する何よりのご供養になるであろう。

この先輩の影響を受けて坐禅会に参加するようになった前述の学生は、外国語の文献を読み、論文執筆に精を出すだけであったこれまでの生活を一変させて、土曜の夜坐禅を含めて、週に四回は坐禅に来訪している。そのお蔭で、彼の顔つきは一見して分かるほど柔和になり、光を放ってきた。おそらくは、本業の学業の方もさぞかし進展してきたことであろうし、何よりも心に法悦が育ってきていることは間違いない。うれしいことである。

さらに、先日、以前坐禅会に参加したり、小衲と一緒に中江藤樹の『論語郷党啓蒙翼伝』を会読したりしてのち、東京の官庁に奉職した男性が久しぶりに訪ねてきた。彼は奥さんが早産で、お子さんが十日ばかりで亡くなられたにもかかわらず、「小さな大切な命を一つ失ってしまいしましたが、悲しいばかりではなく、喜びももらえました。天から何か特別なものを授かった気がします。仏道についてもまた異なる気持ちで考えました。久々に坐禅をして無になれました」と述べ、「こういう心境になれたのも坐禅に出会ったお蔭です」とお礼を言ってくれた。そして非常に辛い経験をしたにもかかわらず、彼の顔つきが以前よりはるかに円満になって耀いていたことに感動したのである。

以上述べたのは、小衲が身近で経験した「坐禅の功徳」の一端である。南禅寺禅センターの坐禅研修で修学旅行生が先生がたに引率されて来るのも、何か学業だけでは足りないものを感じておられるからであろう。明治時代以降、わが国では「行的実践」という側面が次第に軽視されてきたが、いま一度その必要性を反省して、ひとりでも多くの人が坐禅を実践して、心からの法悦を得られんことをお祈りするものである。