「坐禅工夫」2013年5月【No.119】

坐禅を志す人はかなりの数に上るであろう。この光雲寺では南禅寺本山からの依頼を受けて「南禅寺禅センター」の看板を掲げて、年間一万三千人以上の坐禅希望者を受け容れている。それ以外に、午後8時から9時までの毎土曜の夜坐禅と、第2第4日曜日の月二回の月例坐禅会を含めると、かなりの数の人が坐禅に参加していることになる。一カ寺ですらそうであるから、全国で坐禅体験をする人は膨大な数になることは間違いない。しかしそのうちの何人の人たちが真箇の禅定に入るための的確な工夫をしているかとなると、はなはだ心もとないと思われる。

最近ある人から「坐禅中に眠気が襲ってきてたまりませんでしたが、眠ってしまわないように眼を見開くと、他の人のうたた寝が眼に入ってしまい集中できませんでした。ひとえに自分の未熟さ・弱さ故の事なのですが、どうしたら眠気を克服することができるでしょうか」というメールでの相談があった。

小衲はそれに応じて、「眠気が出るのは工夫に専念されていないからです。仁王禅で眼を見開き眼の色を変えて工夫に取り組んでいると、眠気の起こる余地が無くなります。随息観や数息観よりも公案工夫の方が四六時中の工夫がしやすいように思います。よろしければ無字の工夫をされたらいかがでしょうか」という返信メールを送った次第である。

また同じ頃に別の人から、「毎日仕事は大変ですが…無―無―無―で新たな心境なんです!無―って簡単に入るのですが…、最近は無―って入った瞬間、もう爽やかで爽やかで…、本当に爽やかで仕方ないのですが…こんなに爽やかでいいのか…、ちょっと心配になりまして、メールしました」という工夫の近況を伝えるメールがあった。

それに対して小衲は、「どうです、無字の工夫の醍醐味は素晴らしいでしょう。その調子で無ー、無ーと乗りに乗って絶え間なくやって行かれんことを。仕事の最中だけではなく、四六時中の無ーを続けたら、全てを空じ尽くして、必ずや見性の時節がやってきます。少々くらいの成果で気を抜かれないように。【小果に執着すれば大果を得ず】だからです。【得ては棄て得ては棄て】が禅工夫の鉄則です」という返信を送った。

「無字の工夫」というのは、最も基礎的な「趙州無字の公案」を四六時中工夫するというやり方である。随息観や数息観ではたとえば歩いている時などの運動中はなかなか工夫しづらい点がある。それに対して無字の公案は四六時中「無―無―」と眼の色を変えて工夫していけば、自ずから三昧境に入ることができる。小衲も修行時代には草引きなどの作務の最中も無字三昧の工夫により、幾度となく法悦の佳境を経験したものである。

最近は専門道場でも新到の雲水が、初歩的な心得も身につけずに来るものが多く、しかも我見我慢だけは人一倍の者が多いという嘆きを、ある僧堂の役位さんたちから再三耳にする。われわれの修行時代には考えられなかったことである。それはひとえに坐禅工夫をおろそかにしているがために、修行生活の充実や法悦を感じられないからであろう。

せっかく逢い難き仏法に出逢いながら時間を空費することの無いように、在家出家を問わず、坐禅工夫に邁進して法悦を存分に味わって頂きたいものである。