「小沢氏無罪判決」(月刊コラム【No.107】2012年5月)

先月は禅や仏法から少し離れて「台湾と日本精神」について愚見を述べさせて頂いたが、今月のコラムも、世間の耳目をひいた小沢一郎氏の裁判について思うところをお伝えしたい。

「陸山会」の土地取引をめぐり検察が総力を挙げて捜査したにもかかわらず不起訴になった小沢一郎氏を、正体の定かではない「検察審査会」が強制起訴したことにより行われた裁判により、先月26日に無罪判決が下されるに到った。「無罪は当然」と声高に叫ぶ人たちがいた反面、小沢氏の秘書達を「推認」により有罪とした暴走する司法はやはり小沢氏自身にも有罪判決を下すのではないかと危惧する向きも多かったようである。

それができなかったのは、おそらく「悪玉小沢」を横並びに唱える大手マスメデイアの大政翼賛会的報道に眼を曇らされることなく小沢氏の有罪を疑問とする人々がネットを通じて広まり、その趨勢を裁判所も無視できなかったがためではないか。特に秘書である石川氏により東京地検特捜部の取り調べが録音され、調査報告書が虚偽を含むことが白日の下にさらされたことで、検察は国策捜査のためには冤罪を作り出すことなど何とも思っていないことが明らかとなったのは重大な出来事であった。

今回の判決内容では裁判長は指定弁護士の主張をかなりの程度まで認めたものの、東京地検特捜部による虚偽の調査報告書作成を厳しく断罪して自浄作用を促している。小沢氏の場合は一国の総理大臣になるはずの人の前途を著しく妨害した点で、村木氏冤罪事件の時以上に、担当の田代検事のみならず上層部の関与なども徹底して取り調べをする必要があるのは当然であろう。

それにしても疑問に思われるのは、小衲の知り合いの弁護士も吐露した如く、専門家の検察により不起訴とされた事案が、素人で得体の知れない「検察審査会」により強制起訴されたという経緯である。強制起訴の原動力となったのは虚偽報告書であったわけであるが、それならば「無罪」ではなく、検察審査会の公訴そのものを棄却するのが筋というものであろう。裁判長がいかなる理由で強制起訴を有効としたのかが明確ではない。

「小沢グループでも反小沢でもない」という民主党議員の有田芳生氏は「小沢一郎元代表の無罪判決は民主主義精神の歴史的勝利だ。これは新たな闘いの『はじまり』である。検事による偽造報告書に対する第3者による検証、検察審 査会制度の透明化、メディア報道の自己批判、政権交代の立役者を守ることをしなかった党の執行部の深い反省などなどを実現しなければならない」「小沢無罪報道の一般的特徴は、東京地検による捏造をふくむ意図的『捜査報告書』についてほとんど触れないことだ」というのはけだし正論というべきであろう。

その他、「永田町異聞」の新恭氏、「知られざる真実」の植草一秀氏、「毒蛇山荘日記」の山崎行太郎氏、「マスコミに出ない政治経済の裏話」の板垣英憲氏などのブログでは、小沢氏を悪玉に仕立て上げようとする策謀に対して満腔の反論を展開しておられる。

それにしても小沢氏の秘書達を「推認」により有罪を宣告した司法の問題点を追究することをせずに、「有罪となった秘書をもつ議員としての道義的責任」のみを指摘する大手マスコミや自民党首脳は何という体たらくか。国民の多くはそんなに愚かではない。このままでは遅かれ早かれ彼らは多くの人たちから愛想を尽かされることになるのは必定である。

小衲は鈴木宗男氏や佐藤優氏の「国策捜査」が明らかとなって以来、司法の動向を注視してきたが、特に小沢氏に対しての検察の対応は悪質極まりないように思える。もし小沢氏が本当に悪の人ならば、「党員資格停止」の処分を下されてなおかつ百名以上の議員達がそのもとに参集するはずがないではないか。小沢氏の座右の銘は「至誠通天」(至誠、天に通ず)であると聞く。小沢氏の至誠が天に通じて真に民衆のためになる政治が到来することを期待したい。

なおこの件に関して次のサイトを参照されたい。

http://blogos.com/article/37996/

日刊ゲンダイ 小沢一郎裁判報道 世紀の謀略の全容を詳報」

http://www.zasshi-online.com/book/ProductDetail/?page=1&dcode=nikkangendai_ozawaichirousaibanhoudou000&dpage=1