「保福長慶遊山」2016年4月【No.154】

「保福長慶遊山」というのは宗門第一の書といわれる『碧巌録』の第二十三則の公案です。小衲は京都近郊の長岡禅塾で、40年以上も前にこの古則を森本省念老師が提唱された際の印象をいまだ忘れることができません。そのとき老師は『槐安国語』の提唱をしておられました。この書は大徳寺開山大燈国師の語録に、五百年間出の名僧の誉れ高い白隠禅師が著語評唱されたものですが、頌古評唱の第六則がこの機縁です。

森本老師の迫力のある格調高い提唱と共に、大燈国師の「妙峰孤頂、人到り難し、只だ看る白雲の飛んで又た帰ることを、松檜蒼蒼、幾歳をか藶たる、莫教(さもあらばあれ)巌畔、鳥声の稀なることを」という偈頌のえもいえぬ風韻も強く印象に残っています。

保福と長慶は共に中国唐代の雪峰義存禅師の法を嗣いだお歴々の名僧です。このお二人がまだ雪峰の道場で修行時代のことでしょう。連れ立って山に登った際に、保福があたりを指さして「只だ這裏(しゃり)便(すなわ)ち是れ妙峰頂(みょうぶちょう)」といったのです。妙峰頂とは華厳経入法界品にある言葉で、善財童子が発心して五十三人の善知識を歴訪したときに、妙峰山にいた徳雲比丘に相見しているのですが、妙峰頂は尽大地塵ひとつないという悟りの頂き、絶対無の本分のところを指しています。それを道友の長慶が聞きとがめて、「是(ぜ)なることは是なり、可惜許(かしゃっこ)」(それは貴公のいうのはもっともなことだが、そんなところで有頂天になってはいかんではないか)と釘を指しました。

眼の色を変えて坐禅工夫をしておりますと、色んな体験をすることがあります。有頂天になってそれを「自分は悟った」などと自惚れますと、鼻持ちならない天狗になって周りの人たちから疎まれるようになりかねません。そうした例を小衲は見聞したことがあります。師家はそうした者を作り出さないように、生半可な許可は厳に慎むべきだと思いますが、修行者達自身もくれぐれもそのような増上慢に陥らないように心がけることが肝要となります。もとより保福はそんな浅はかな思いなどなく、ただ道友の長慶の境涯は如何と探りを入れたのでしょう。しかし百錬千鍛の長慶はそんな手に乗るはずはありません。かえって保福に注意をしました。

雪竇(せっちょう)禅師は著語して「今日、這(こ)の漢と共に遊山して、箇の什麽(なに)をか図る」(二人とも道場での修行から抜け出して遊山して一体どういうつもりか)と保福・長慶の二人を叱責した上で、「百千年の後、無しとはいわず、只だ是れ少なし」(この二人のように、道場の中のみならず、遊山していても仏道を問答商量するような修行者は、百千年の後もおらぬとは言わないが、少ないであろう)と今度はおおいに持ち上げておられます。

圜悟(えんご)禅師も評唱の中で、「古人は行住坐臥においてただ道のことだけを問題としていたので、一言でもそれが道の問答商量となる」とたたえておられます。道心のある人には真の道友ができるでしょうが、果たして昨今は道のためだけに出家して弁道するという人はいるでしょうか。

あたかも本年3月には臨済禅師の1150年大遠諱と白隠禅師の250年大遠諱が大本山東福寺で臨済宗と黄檗宗の師家・雲衲勢揃いで厳修されました。こうした本物の名僧の心から追慕して一人でも真の道心をもった雲衲が現れてほしいものです。

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