「歩行禅の勧め」2021年02月【No.211】

コロナの緊急事態宣言が続く中、皆さん方の中には外出をひかえ気味にして、運動不足になっている人はおられないでしょうか。日中に人ごみの多いところに出向くのは、確かに感染のリスクが増えるので、気をつけなければなりません。私たちの寺院生活では、掃き掃除や畑のうね作りなど、身体を多少は動かす機会はあるのですが、それだけでは不充分です。

 私は今年の1月で73歳になりましたが、最近、坐禅の結跏趺坐を解いて立ち上がる際に、以前のようにスッと立てなくなって参りました。法要の導師として幾度も三拜する際にも、膝の屈伸にぎこちなさを感じます。年を重ねると次第に脚から弱って来るのは、私たちが常日ごろ見聞している通りです。

先般、南禅寺の機関誌である「瑞龍」誌上に、「古仏の芳躅」と題して連載を始めました。「古仏」とは「ずば抜けた名僧」という意味で、「芳躅」(ほうちょく)とはそうした名僧の歩まれた尊いご修行の足跡(そくせき)をいうのですが、第1回目に南禅寺第八世の通翁鏡円禅師(普照大光国師)を採り上げました。この通翁鏡円禅師は古人にも稀なる骨折りをされた方です。那須の雲巖寺の高峰顕日(仏国禅師)に参じ、また筑前横嶽(よこたけ)の崇福寺の南浦紹明(大応国師)に参じて、那須に到ること十七回、横嶽に上ること十七回に及んだということです。栃木県の那須から福岡県の横嶽までを一度行脚するだけでも大変な労苦を伴ったでしょうに、それを17度もされたその願心の堅固さには驚嘆せざるを得ません。

 通翁禅師はおそらく行脚されながら必死になって公案三昧の工夫に邁進されたに違いありません。私にもささやかな経験がありますが、歩きながら公案を練るのは、三昧境を育てるには持って来いの方法です。しかも歩くことにより足腰が鍛えられます。このように思いたち、半月ほど前から、夜中の2時45分に起き、3時から1時間ほど南禅寺境内まで散策することを日課としております。夜中ですから知り合いに逢うこともないですし、車もほとんど通りません。ただ3時の早朝から新聞配達の人が配っておられるのには感心致しました。それから自坊の光雲寺に戻って来て、15分ほどの柔軟体操をします。

 歩きながら無字三昧の工夫を間断なくおこなうと、実に充実した心境になります。あるいは「ひとーつ、ふたーつ・・・」と呼吸を数える数息観でも結構です。皆さん方も、真夜中でなくても結構ですから、毎日散歩しながら三昧境を育てて、心身ともに健やかになりませんか。まわりの出来事に心を動かされることもなくなりますよ。

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