「法縁・仏縁」2015年6月【No.144】

四月号のコラムで、南禅寺と妙心寺の両方の管長を経験された近代の名僧、高源室・毒湛匝三老師(天保十一年ー大正六年、1840ー1917)の一百遠年諱のことに触れましたが、去る五月二十二日に、南陽院での落慶法要に引き続いて南禅寺法堂での高源室一百遠年諱が執り行われ、斎座会場は本山の龍淵閣でした。僧俗含めておよそ百五十人が参加した盛大なる法要でした。

南禅寺塔頭の南陽院は、明治四十三年(1910)に毒湛老師が京都西賀茂にある南禅寺末寺の正伝寺の塔頭であった南陽院を、本山の塔頭である真乗院の地所の一部を分けてもらわれて移転再興されたお寺です。南陽院での落慶法要が最初にあったのは、毒湛老師一百遠年諱に向けて、現在の鈴木正澄和尚様が檀信徒の皆さんのお力添えのもと、本堂・庫裡・書院などの全面的耐震改修を行われたからです。最初に改修を企画されたのは十年前のことだそうです。小衲の光雲寺でも、四年前に大檀越東福門院三百年御忌と晋山式に向けて境内建造物の新築や修復を行い、落慶法要を含めて三種の法要を執り行いました。

先代の和尚様が四十歳代初めで早世されてから、現和尚様のご母堂様は質素な毎日を送られてお寺の経済を支えられたと聞き及んでおります。現和尚様には、相国寺僧堂の老師になりすでに遷化した小衲の弟や小衲自身もひとかたならぬお世話になっておりますので、光雲寺坐禅会のメンバー八人に加えて、自発的に相国寺僧堂の雲衲方五名の荷担をお願いしました(光雲寺坐禅会は以前は大層長期間、南陽院で会場をお借りしておりました)。役割り分担が三箇所に分かれ、しかも小衲は大方尊宿方のお世話係という重責を担いましたので、色んな所へ目を配らねばならず、正直申し上げて自坊での四年前の法要の時よりも気をつかいました。

何よりも特筆すべきは、この法要の引き出物のひとつとして禅文化研究所の能仁晃道師に依頼されて『訓註 毒湛和尚語録』を上梓(じょうし)されたことです。小衲は恩師の建仁寺前管長・湊素堂老師から、「大智禅師偈頌(曹洞宗の名僧、正応三年ー貞治五年、1290−1366)と共に、毒湛老師の語録を是非とも勉強するように。老師の語録は平易な言葉のみを用いて深い宗旨を表現しておられ、非常に優れたものだ」とお勧めを受けたことがあります。

南陽院和尚様は相国寺僧堂の雲衲方五名のみならず光雲寺坐禅会のメンバー八人にも南陽院と本山法堂の二箇所の法要に参列する機会を設けて頂き、特に在家の坐禅会のメンバーはこのような稀有の法縁に巡り会って感激の極みだったようです。法要のあとの本山の龍淵閣での出斎(昼食)の際には、着物と袴姿で、全員がなかなか頑張って機敏に動いてくれたような気がします。後日、そのうちのおひと方から次のような御礼のメールを頂戴致しました。

「昨日は高僧の法要のお手伝いに行かせていただき、有難うございました。幸運なことに、法堂での管長様の御様子を、はっきりと拝見することが出来ました。その御所作を直に拝見して、お声を直にお聞きして、感じるものが大きく、大変、勉強になりました。その他にも、見聞きするもの、初めてのばかりで、とても刺激になりました。(中略)
私坐禅会にお邪魔するようになってから、ちょうど丸三年になりました。少し解ったような気になっていましたが、今日からは、初心に帰って、心入れ替えて、頑張ろうと思います。ム―・ム―で頑張ります、至りませんが宜しくお願い致します。」

在家の皆様方もこの様な機会があれば、ぜひご参加されんことをお勧め申し上げます。きっと心に感じられるところがあるでしょう。

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