「真心再論」2015年9月【No.147】

先月のコラムには「真心を育てる」と題して、TBSテレビの『天皇の料理番』という番組を取り上げ、主人公の秋山徳蔵氏の言葉を引用しながら、真心をもって行うことの重要性をお話し申し上げましたが、よくよく考えてみまするに、「真心を行ずる」というのは申すまでもなくそんなに簡単にできることではありません。

日本近代の剣・禅・書の達人といわれた山岡鉄舟は、明治天皇の侍従をした功績を認められて叙勲されようとした時に、「まだまだお尽くし足らぬと思っているのに、叙勲などもってのほかだ」と断言し、「喰うて寝て何も致さぬご褒美に、蚊族(「華族」と同音語)となってまたも血を吸う」と自嘲したといわれております。鉄舟は西郷隆盛からのたっての依頼で天皇の教育係役を引き受け、元田永孚(ながざね)と共に、天皇から最も信頼された側近であり、誠心誠意、至誠の限りを尽くして明治天皇にお仕えしたことは疑いもないことです。その彼が「まだまだお尽くし足らぬ」とか「喰うて寝て何も致さぬ」とわが身を反省しているのです。これはおそらくは鉄舟の心からの真情であり、単なる謙遜などでは断じてないように思われます。

孔子の孫の子思が著されたといわれる『中庸』には、「至誠息(や)むことなし」とあります。至誠心(真心)を尽くすことはどこまでやってもこれで良いということはないということでしょう。鉄舟の上述の言葉はそのように理解されるのではないかと思います。幕臣であった彼のもともとの主君は、徳川慶喜という最後の十五代将軍でした。将軍にとって代わって最高権力の座についた天皇に新たに仕えることになった鉄舟は、将軍の部下であった旧武士達から口さがない批難を浴びたそうですが、それでも鉄舟は一向に弁明などせずに天皇にお仕えしました。

鉄舟と無二の道友であり江戸城を無血開城した勝海舟も徳川幕府の重臣から一転して明治政府に仕えたのですが、福沢諭吉は『痩せ我慢の説』を海舟のもとへ送ってこれを公表しても良いかを問い合わせたところ、海舟は「計らずも拙老先年の行為に於いて、御議論数百言御指摘、実に慙愧に堪えず、御深志忝く存じ候。行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存じ候。各人へ御示し御座候とも毛頭異存これなく候。」と一蹴した返書をしたためたということです。日本の国全体のことを考えた海舟に対して、徳川の立場に固執して「どうして江戸城を枕に痩せ我慢の一戦を交えなかったのか」と迫る偏狭な諭吉は、いかにも小人の感を免れないと思います。幕末三舟の一人である幕臣の高橋泥舟が「二君にまみえず」とばかりに隠遁したのも、鉄舟や海舟に比べれば、精彩を欠くものと言えましょう。

先に「真心を行ずる」ことの難しさに触れましたが、例えば草引きひとつにしましても、本当に心をこめてすることなどなかなかできません。天候不順で雨のよく降るこの時節には、雑草は引いても引いても次から次にと生えて参ります。拙寺では表の庭・裏庭・墓地・畑と四箇所の除草を順次行っているのですが、すぐに雑草が生い茂ってきて、なかなか綺麗にはできません。取り切れていない雑草を見て、「まだまだこれでは駄目だ」と反省する毎日です。

最後に『論語』述而第七にあります孔子のお言葉を味わいたいと思います。「文は吾れなお人のごとくなること莫(な)からんや。君子を躬行(きゅうこう)することは、則ち吾れ未だこれを得ること有らざるなり」(勤勉では私も人並みだが、君子としての実践では、私はまだ十分にはいかない)。

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