「禅修行の醍醐味」2020年03月【No.200】

 わたくし事になりますが、小衲は来たる4月より、臨済宗南禅寺派管長に就任することと相成りました。小衲が最初に禅に出逢ったときに薫陶を忝くした森本省念老師は、明治22年(1889)のお生まれで、小衲よりちょうど60歳年長のお方でした。京都大学の西田幾多郎先生のもとで西洋哲学を学ばれ、後に出家された老師は、ご母堂の介護をされながら禅の修行に邁進された高徳の禅僧として知られております。妙心寺派管長職を辞任された後の山田無文老師が、長岡禅塾に森本老師を尋ねてこられた折りのお二人のやりとりを拝見して、無文老師のような名僧が森本老師を心から尊敬しておられることに言い知れぬ感動を覚えたものです。
 建仁寺の竹田益州老師や湊素堂老師も森本老師を非常に尊敬しておられた事実を、小衲は見聞しております。百丈懐海禅師の「一日作(な)さざれば一日食らわず」を日々実践しておられた益州老師が、阪急電車に乗られて長岡京付近を通過する際に、隠侍さんに向かって「あそこに偉い老師さんが住んでおられますなあ」と言われ、帰りの電車の中でもまた同じように、「あそこに偉い老師さんが住んでおられますなあ」と言われたということです。
 その森本老師には、「禅僧が本物かどうかは名利の念があるかどうかで分かります」というご発言が伝えられております。森本老師ご自身もある本山の管長に拜請(はいしょう)された際に、「肯心自ら許すという気持ちではありませんので、ご辞退致します」と言われ、「さて、ところで私のことをどなたに推薦されましたか」と問われ、「鈴木大拙さんの推薦です」という返事を聞いて、「大拙さんも目が曇ったなあ」と言われたということです。
 このような風格の森本老師の薫陶を受けたわけですから、管長への懇請に対して再三お断り致しましたが、「本派のためにどうぞ点頭して頂きたい」と懇願され、遂に引き受けることを決した次第です。そして管長職を名利の職として受け取るのではなく、これを絶好の再行脚(再修行)の機会と受け取ろうと思っております。
 南禅寺と光雲寺のご開山の大明国師(1212−1291)は日本国内と中国の宋の国とで40年以上の禅修行に邁進された類い稀なる道心のお方です。南禅寺の開創の10年以上も前に摂津の国・四天王寺近辺に光雲寺を建立されたのも、聖一国師のあとの東福寺後住問題に関して東山湛照禅師の一派との軋轢を避けられた結果だと伝えられております。国師もまた名利の念など微塵もなかったお方に間違いありません。その国師から「まだ修行が足らぬ、再行脚せよ」との命を受けたものと受け取った次第です。
 そこでこれまでと同様に、通常は光雲寺に居住して「南禅寺禅センター」や月二回の月例坐禅会や土曜の夜坐禅などをさせて頂くという条件で、管長就任を承諾させて頂きました。自らの再修行と後進の坐禅指導の眼目は、真の三昧境の醍醐味を体験することによって、出家してこの道に進みたいという道心ある若者を何人も発掘し、また僧堂の雲衲方が工夫三昧の妙味をどこまでも堪能したいとなるだけ長く僧堂に在錫するようになって頂きたいということです。
 幸い、若者たちから自発的に摂心(集中的坐禅修行)をして頂きたいという依頼がありました。われわれも長岡禅塾時代に毎月の大摂心を老師にお願いしたものです。三昧境に入る秘訣はもう分かっております。目の色を変えて決死の覚悟で四六時中工夫することに尽きます。皆さん方も禅修行の醍醐味を堪能してみられませんか。

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