「旧年の回顧」2017年1月【No.163】

新年明けましておめでとう御座います。

昨年も色々と自然災害があり、そのため新年をどのように迎えればよいのか、ほとんど途方に暮れておられる方々も多いことと拝察致します。

4月14日の夜に熊本県を襲った地震は西原村と益城町とで震度7の地震が連続して起こるという未曾有の激震となりました。とりわけ熊本のシンボルとして観光の中心をなす熊本城の甚大な被害は、熊本県民の方々にとって衝撃的な出来事だったことでしょう。石垣などの再建には数十年の歳月と莫大な費用がかかるということですが、復元された偉容を見て熊本の人々に笑顔が戻る日が待たれます。

また土砂崩れによる阿蘇大橋の崩落は地震被害の凄まじさを如実に感じさせるものでした。熊本ではまだ4割の被害家屋が復旧のめどすら立っておらず、益城町などではいまだに瓦礫の山ということですが、県や国が災害対策にもっと真剣に取り組み、一日も早く元の姿に戻る日が来ることを祈りたいもので御座います。

また8月以降に4つの台風が相次いで北海道に襲来し、「激甚災害」に指定されるような大きな被害をもたらしましたことは、まだ記憶に新しいところでございます。農作物などの甚大な被害のために農家の人たちは大変困っておられるということで、農家の方々のご苦労のほどが思いやられます。

実は熊本地方は今回の大地震以上の壊滅的な被害を蒙ったことがあります。明治10年(1877)に勃発した西南戦争のときです。石光真清氏の全四巻からなる手記(中公文庫)は毎日出版文化賞受賞作ですが、その第一巻である『城下の人』は、明治元年に熊本城下に生まれ、神風連の乱や西南戦争を間近で目撃した石光氏の貴重な実録です。そこには熊本城を守る谷干城を初めとする鎮台軍(政府軍)が、考えられないことですが、戦略上の作戦により、西鄕隆盛率いる薩摩軍が来襲する前に熊本城天守閣に火をつけ、熊本城下をも一面の火の海にしたのです。

炎々と燃えさかる熊本城天守閣を目の当たりにして石光氏は次のように吐露しています。
「慶長12年、(加藤)清正公の手によってお城が完成されて以来、二百有余年の間、私たちの先祖代々が、この城下に生まれ、この城を仰いで育ち、この城を守り、この城と共に栄えてきたのである。そして、自分たちの宝として誇り、藩主細川公の居城として尊敬してきた名城ではないか。一朝に焼尽していくのを目前に見て、嘆き悲しまない者は一人としてある筈がない。」(上掲書、78頁)

熊本城を訪ねられた方は、この城が鉄筋コンクリート製であるのを知っておられることと思いますが、実はもともとの熊本城はこのように政府軍の所業により焼失したのです。石光氏の述懐にはこの歴史ある名城に対する熊本の人々の熱い思いが如実に見て取れます。
石光真清氏の全四巻からなる手記は、この時代の人たちの気高い言動が随処に伺うことのできる貴重な記録です。御一読をお勧め致します。

どうか熊本地方の復興が早く成就することを祈り、それと共に、来年はどうか大きな自然災害がないように願いたいものです。