「禅堂の修行生活(その2)」2017年12月【No.174】

小衲は最初掛搭した京叢林を結局2年半で下山致しました。そのきっかけとなりましたのは、あまり警策をもらいすぎて背骨に違和感を感じ、医者に診てもらってところ、背骨が変形していると言われたので、このままではいけないと思い、転錫を決意致しました。同夏(同参)の中には、一年で一番峻烈な臘八大摂心で警策を打たれまくって、臘八後の開浴(お風呂)の際に恒例として禅堂内の最高位の直日(じきじつ)さんが背中を流してくれることになっているのですが、彼の「ノートルダムのせむし男」のように打たれて曲がった背骨を見て、さすがに顔色を変えてすぐに病院に行かせた人がいます。彼はそのことがあってすぐに下山しましたが、7人の同夏(どうげ)で最後に残った小衲も、「これは別の僧堂に転錫した方がよい」と思い、師匠に相談の上、下山を決めた次第です。

鎌倉の建長寺僧堂に転錫したきっかけとなりましたのは、最初の僧堂の役位の一人が、「本当に見性しようと思うのなら、湊素堂老師の建長寺僧堂に行った方が良いよ。素堂老師は公案をなかなか許さないそうだよ」と助言してくれたからです。師匠の長岡禅塾の浅井老師からも「湊素堂老師は坐禅しすぎて足がこんなに曲がっている」という話をお聞きしたことがありました。ただ鎌倉に行く前に独摂心をしようと思い、和歌山県の古座川上流の知り合いの家を借りて一ヶ月ほど坐禅をしました。盤珪禅師や白隠禅師の独摂心を模範として、お粥だけで過ごし、「盤珪さんのように大岩の上で坐ろう」と思い、探しましたが、恰好な岩を見つけることはできませんでした。

夜中に豆電球をつけて坐禅をしていると、何やら天井からボタッと生き物らしきものが落ちて来ました。てっきりこれは昼間見た蝮(まむし)かも知れないと思い、電気をつけると、それは大きなムカデでした。山中での住まいではこうしたことはよく起こることでしょう。そうこうするうちに、僧堂に掛搭する日が迫ってきました。雪安居(せつあんご)に掛搭するためには10月初旬には掛搭する必要があります。小衲は10月5日の達磨忌の日に再掛搭致しました。

排水の陣で臨んだ建長寺僧堂では、なるだけ坐禅して動中にも公案工夫を続けるように努めました。同夏は3人いましたが、32歳の小衲が一番年少でした。素堂老師に初めて参禅した時の感激は忘れることができません。老師は、参禅が終わって拜をしている小衲に向かって、「私もあなたと同じ道を通ってこの禅門に入ったものです。もういちど生まれてきても、もう一度雲水生活をしたいと思っております」と実に穏やかな声で語りかけられました。老師はインド哲学を学ばれ、小衲はドイツ哲学からという違いこそあれ、いずれも哲学畑に飽き足らずに実参実究の禅の道に転じた経緯があります。小衲は思わずバットで殴られたような衝撃を受け、「この老師にずっとついていこう」と決意致しました。

建長寺僧堂時代は結局素堂老師が京都の建仁寺僧堂の老師として遷られたので、わずか半年ほどの期間でしたが、小衲にとっては非常に実り多い僧堂時代であったと申せます。それにつきましてはまた次回にゆっくりとお話し致しましょう。

 

「禅堂の修行生活(その1)」2017年11月【No.173】

禅宗の僧堂での修行の有様について訊ねられることが時たまあります。禅修行が厳しいということは一般に良く知られておりますが、一般には門戸を開放していない僧堂の修行生活に関心を持ち。厳しい修行を経験してきた禅僧に対して畏敬の念をもつ人があるのも事実です。ただ小衲が僧堂に掛搭しましたのは四十年以上も前のことですから、僧堂の現状はその当時とはだいぶ様変わりしていると思わなくてはなりません。そのことを念頭に置いて頂いた上で、小衲が自分で実際に経験した僧堂生活について、いささかお話し申し上げます。

この場合の「禅宗の修行生活」というのは臨済宗の修行生活です。曹洞宗や黄檗宗などの修行生活の経験は、小衲は持ち合わせておりません。ただ曹洞宗出身者で臨済禅の修行をする人は、道元禅師の影響でたまに見かけますが、そういう人から聞いた話では、曹洞宗は一般的にはどうやら臨済宗ほど修行が厳しくないようです。

小衲が最初に掛搭した京都の或る僧堂では、粥座(朝食)のお粥の分量が二十人で、米一合と麦一合の計二合だったのには驚きました。あまりにも少ないと思い、後に典座という料理係になったときに三合に増やしましたら、上の人に「多すぎる」と注意されて、元の二合に戻しました。その次に転錫した道場では、粥の分量がたっぷりとありましたが、前道場のことを思うと、勿体なくて咽に入らない思いがしました。典座当番の人には、「沢山食べないのを美徳にように思っている者がいる」との批判を受けましたが、食べようにも咽に入らなかったというのが実情でした。

僧堂では開静(かいじょう)時間が午前3時半で、午後9時から11時までは禅堂の外で夜坐をしますから、睡眠時間は一番寝る者で4時間半ですが、みんなが寝静まってからも夜坐をするようでなくては道心あるとは言えません。小衲も大摂心(一週間の坐禅集中期間)の前から最中も夜坐を延長していたせいで、止静中にときおり無意識のうちに居眠りが出て警策で思い切り打たれた上、単蒲団から降りて敷き瓦の上に直接坐るように命じられました。それでもほとんど寝ていないので、いつのまにか居眠りが出たようです。縦警策といって樫の警策の握りの太いところで首筋にドンとばかり縦に打たれて横に吹っ飛び、「よっさん、お前はもう駄目か」という痛罵を浴びたことを記憶しております。「これでは身体がもたない」と思い、あまり極端に睡眠を削るのを中止してからは、そのようなことがなくなりました。

在家の方々から見れば、何という乱暴な修行かと思われるかも知れませんが、師匠の指示で入門した道場です。ちょっとやそっとのことで退くわけには参りません。ただ一番最初に掛搭した道場は「心臓が抜けるほど」と形容されるような警策や罵声の連続で、あまり本来の公案工夫に集中できなかったように思います。もっともこれは僧堂のせいというよりは、それに気を取られて工夫を十分できなかったわが身の至らなさが原因です。

参禅のあとでまた何人かで「もう一度参禅してこい」と数人がかりで室内に送られるいわゆる「ご案内」と呼ばれる慣習も、小衲にはあまり有難く感じられることがありませんでした。結局、同夏と呼ばれる同参の7人のうちで最後に残ったのは小衲だけでしたが、それも警策をあまりに打たれたせいで、背骨が変形してしまい、師匠に相談の上で、別の僧堂に転錫することを決意致しました。(続く)

(なお、11月の月例坐禅会は本山の開山忌などの都合で、5日の第一日曜日と19日の第3日曜日となります。)

「看月亭と閑雲庵」2017年10月【No.172】

大本山南禅寺からの要請で「南禅寺禅センター」という看板を掲げて年間一万五千人に及ぶ拙寺の光雲寺には多くの方々が見えられます。そうした人達の中には、紅葉や桜の時節のような繁忙期には京都に来たくともなかなか宿泊所が見つけにくいという人や、ときには光雲寺に泊まって坐禅や文化体験をしたいという方もおられます。そうした方々のために是非ともご紹介したいのは、光雲寺の境内地で「京都文化協会」と「葵ホテル&リゾート」とにお貸ししている500坪ばかりの土地にあります、「看月亭」と「閑雲庵」という二棟の建物です。

この二棟の名前は京都文化協会から依頼されて小衲が名前をつけ、南禅寺の管長猊下に揮毫して頂いたものを、ちょうど手持ちの栂(とが)の木を使って知り合いの神戸在住の扁額作成に堪能な和尚様に依頼して彫って頂いたものです。「看月亭」と名づけましたのは、東山を借景にしたこの庭から見る月や星が実に見事だからです。「閑雲庵」と名づけましたのは、のどかな雲のようなゆったりした気持ちで宿泊して頂きたいという気持ちからです。

「京都文化協会」と「葵ホテル&リゾート」さんのご尽力のお蔭で、このたび見事にこの二棟が見違えるように生まれ変わりました。いずれも一棟貸しです。葵さんの支配人さんは「この看月亭はおそらく葵では一番のところだと思います」と感激の面持ちで述懐しておられました。七代目小川治兵衛(通称、植治)作の庭も、作庭の権威であられる尼崎先生のご指導のもと整備され、面目を一新しました。背景には哲学の道があり、桜の時節には見事な桜並木をご覧頂けますし、錦鯉の泳ぐ池のある庭には紅葉が何本もありますので、11月下旬には見頃となります。

看月亭の改修工事を施工したのは京都宇治のツキデ工務店です。檀家総代さんのお宅がこの工務店の施工した新築で、その伝統的工法を見て、小衲がこの工務店ならと思い、ご紹介したのです。多くの工務店との交流のある葵さんの支配人さんも、「ツキデ工務店さんはとても綿密で仕事が丁寧です」と感心しておられました。皆さんもご覧になれば、きっとその施工の素晴らしさに感嘆されることでしょう。

葵さんはさらに隣接する家を購入されて「酵素風呂」を運営されることを計画中です。ご存知の方も多いようですが、嵯峨嵐山にある「酵素風呂」は酵素でおがくずを温めてそれに15分ほど入るというもので、健康にとてもよく、特にガン患者さんには効果があるといわれております。小衲も何年も前から時折行っておりましたが、葵さんが酵素風呂に関心がおありになるということをお聞きして驚きました。葵さんは酵素風呂を交通の便のよいこの場所に設置して多くの人々に利用して健康になって頂きたいという願いをもっておられるようです。市川海老蔵さんも「南座の講演のあるときに酵素風呂に入ると頑張り通せます」といっていたそうです。

以上で光雲寺の「看月亭と閑雲庵」および「酵素風呂」のご紹介は終わりますが、宿泊などご希望の方は「葵ホテル&リゾート」さんの方にお電話頂ければ幸いに存じます(075-354-7770)。

なお、今月のコラムはパソコンの不具合で公開が遅れましたことをお詫び申し上げます。

参考リンク:京都の町屋宿泊 葵 KYOTO STAY

「工夫三昧」2017年9月【No.171】

先日柴犬(名前を小梅と申します)を連れて朝の散歩をしているときのことです。同じように犬を散歩をしておられ時々お目にかかるご婦人が、「和尚さん、私のこの歳でも坐禅できますか」と訊ねて来られました。鹿が谷通りにある光雲寺の石柱には、「毎土曜日午後8時より9時まで夜坐禅があります。費用は無料です。希望者は申し込み不要で、午後7時50分までに坐禅会場の仏殿にお入り下さい」という表示があるので、それをご覧になってのことでしょう。

聴けば、ご婦人は74歳になられるということです。「私はどうも生来のいらちで、一生この状態で人生を終えるのかと思うと残念でなりません.坐禅で何とか治らないでしょうか」という切実な悩みです。「いらち」とは京都や大阪で使われている方言で、「すぐにいらいらしてせっかちで短気な人」という意味です。「さもありなん」(そうでもあろう)と思いました。顔に険(けん)が走っておられたからです。

すぐに切れる短気な人や、何でも他人のせいにして人を批判するような人は、顔の表情にとげとげしさが表れてきて、骨相が悪くなるのは自然の成り行きでしょう。その反対に、常に穏やかでゆったりとして他人のことを思いやる心持ちの人は、期せずして逢う人を和ませるような徳風を身につけておられるものです。小衲は長岡禅塾在塾時代に、妙心寺管長になられた山田無文老師が森本省念老師を訪問された際、「老師はおられますか」と笑みをたたえられて小衲にお尋ねになった時の円満具足されたお顔つきを忘れることができません。

さて、坐禅で何とか自分のやっかいな性格を治せないかと希望されたかのご婦人は、とはいうものの腰痛持ちということなので、小衲は足を組まなくてもよい「せぬときの坐禅」(至道無難禅師)、言い換えれば、四六時中行住坐臥の工夫という「坐を組まぬ坐禅」を勧めました。「無字三昧の工夫」を勧めたのです。「すぐにいらいらされるというのは、眼がいつも外にばかり向いているからで、他人やまわりの物事にすぐに反応して色んな感情を起こされるので、そのように心を乱されるのです。そのように普段は外ばかり向かっている心の眼を転じて、回りの物事や他人のことが全く気にならないくらい自分の心を充実させることが大切です。そうした心境に到るためには、四六時中『無—』と唱えらることに集中されることをお勧めします。心をこめて熱心にやっておられると、いつの間にやら心の雑念妄想は一掃されて、実にすがすがしい心境になりますよ」と。

参禅経験もない人に無字の公案の工夫を勧めるとは思う向きもあるかも知れませんが、無字の工夫はもっとも禅定に入り易いというのは小衲自身の実体験に基づいています。無学祖元禅師や無門慧開禅師やわが国の白隠慧鶴禅師もみな無字三昧の工夫によって大死一番され、自性を徹見されております。たとえ初心の人であっても心をこめて真剣に工夫すれば、思いのほか深い境地に達することが可能です。これは建仁寺前管長の湊素堂老師も同じことを言っておられたことを記憶しております。小衲の坐禅会でも、四六時中の工夫三昧の心がけて、なかなか心境が進んでいる人が幾人かおられます。

工夫三昧の生活をしていると、色んなことに関して念が起きにくくなります。臨済義玄禅師は「念を起こすな。念が起きたら二念を継ぐな。もしそのような工夫ができたら十年間専門道場で修行した以上の成果があるぞ」と喝破しておられます。この数日間、光雲寺の東側の土地(といっても以前は境内地であった場所です)の雑草が大層はびこってご近所の人々が難儀しておられましたので、かなり広範囲に伸び放題の雑草を草刈り機で二日がかりで刈り込み、総勢5人で掃除致しました。

「お寺の仕事もいくらでもあるのに何も頼まれもしていない外の刈り込みをしなくてもよいではないか」と考える者がいても不思議ではありません。しかし当該寺院の日常生活の方針は時の住職の意向や指示に従うべきものです。不満があれば下山すれば良いことです。
草刈り作務三昧の時間を雑念を起こさずに淡々とやり終えたあとの心地よいこと、ご近所の人々が「有難うございます。おかげで綺麗になりました」と喜んでお礼を言われると、さらに清々(すがすが)しい気持ちになります。大本山南禅寺でも内局の和尚様方が毎朝本山の掃き掃除をしておられることを感心していた在家の知り合いがおります。下手な説法や法話をするよりも、率先垂範してお寺の内外を清浄に保つ方がよほど「以身説法」になりはしないでしょうか。その逆に、門前の伸び放題の草引きすらしない有名観光寺院のことを痛烈に批判する人もあります。

大切なことは、出家にしろ、在家にしろ、日常生活において念を起こさずに淡々と足を地に着けて毎日を過ごすことではないでしょうか。それがなかなか難しいという人には、かのご婦人に対してのように「無字三昧の工夫」をお勧め致します。四六時中行住坐臥において成果を求めることなく鈍工夫をして「無—無—」となり切ってやっていけば、自分でもびっくりするような痛快な境地に達することができます。まだそのような経験のない方は一度打ちこんでみられてはいかがでしょうか。

「禅の行履」2017年8月【No.170】

今月の標題は一般の方々にはあまりなじみのない言葉かも知れませんが、「禅の行履(あんり)」と読みます。禅の起居動作や一切の行状を指すものです。もとより小衲がこの「禅の行履」を存分に行じているかと申せば、なかなか到らぬ事ばかりで、とても他人様(ひとさま)に対して公言できるようなものはございません。しかしながら、日々行う坐禅や作務や典座(てんぞ)などの務めを、なるだけ心をこめて行うようにしているということは言い得るかと思います。

例えば、拙寺の光雲寺では、住職である小衲が、畑で取れた無農薬の野菜を使って色々と調理を致します。世間では「おさんどん」と呼ばれてさげすまれたこともあった台所係のことを、禅宗では「典座」と呼び、古来から修行の積んだ僧が行うことになっております。色々と無駄の無いように工夫して、みんなに喜んでもらえるおいしい料理を心をこめて作ることは、確かに楽しい充実したひとときです。住職である小衲が料理を作るというのは、なるだけ身体によい有機の無農薬野菜や無添加調味料を使用したいと思うからです。他人に任せていたのではなかなかそういうわけには行きません。

日頃お世話になっている塔頭寺院や知り合いに無農薬野菜をおすそ分けすると、大いに喜ばれますが、時には自分の手料理を差し上げることもあります。これは亡き母のそうした姿が脳裏に焼き付いているからかも知れません。今の時節になると毎年、畑で取れたジャガイモや玉葱や胡瓜などを使ってポテトサラダやビシソワーズ(ジャガイモの冷製スープ)を数回作ります。ゴーヤチャンプルなどは幾度となく作ります。

この7月から光雲寺には下宿者が2名増えたのですが、先日もポテトサラダやビシソワーズやゴーヤチャンプルを作ったところ、始めて食べた二人は「とてもおいしいです」と喜んでくれました。特にビシソワーズに関しては、小衲は何度も塩味をつけ直し水分を足すなどして、ようやく思い通りの味付けに到達することが出来ましたが、そのことを話すと、「老師の心を頂いている気がしました」と言ってくれたのは実に「わが意を得たり」の感を深く致しました。

「単なるジャガイモの冷製スープの味付けに過ぎないではないか」と見くびってはなりません。自分自身で本当に納得するまで安易に妥協せずに味付けに心を尽くすということは、大切なことではないでしょうか。以前にコラムで「天皇の料理番」と呼ばれた秋山徳蔵氏の「料理でも、つくるのは腕ではなく、けっきょく真心なのだから」という言葉をご紹介しました。秋山氏はまた「真心がつくる味」と題された一節で、「しかし、私にもしんからうまいと思って食うものがある。家庭のお総菜だ。これは、・・・(中略)専門家のつくる料理とは、全然別物なのだ。・・・(中略)何といっても、家で食べるものには真心がこもっている。しんから、うまいと思うのは、その真心のせいなのだ。」と言っておられます。

家庭のお総菜は、お母さんが愛しい家族のために心を尽くして作るので真心がこもっているので、もっともおいしい、全く別物だといわれるのです。これこそ料理の真のコツというものではないでしょうか。いや、料理ばかりでなく、日常万般生活の極意と呼ばれるべきものではないでしょうか。「禅の行履」というのはこの真心を日常の行住坐臥全般にゆきわたらせた「常に一直心を行ずる」ことに他ならないのではないかと思います。

(なお、例年の如く、月例坐禅会はお盆のために第2日曜日の13日は休会と致し、27日の第4日曜日のみと致します。毎土曜日の夜坐禅は休まずに行います。)

「王道と覇道」2017年7月【No.169】

拙寺には日露戦争でロシアのバルチック艦隊を撃滅した東郷平八郎元帥の墨蹟が二幅あります。両方とも小衲自身の所有ですが、そのひとつは「天與正義神感至誠」(天は正義に与[くみ]し、神は至誠に感ず)というもので、どうやら東郷元帥ご自身の造語のようです。「わしは、天祐や神助が、必ずあるものと、信じている。ただ、それは、正義あっての天祐、至誠あっての神助だ」と言っておられますが、そのお気持ちを言い表されたものでしょう。この墨蹟には、元帥に傾倒、親炙し、『東郷元帥詳伝』の著作のある小笠原長生(ながなり)海軍中将の箱書きがあるので、真筆と見て差し支えなかろうと思っております。

もうひとつの墨蹟は「以徳服人者中心悦而誠服也」(徳を以て人を服せしめる者は、中心より悦びて誠に服せしめるなり)という『孟子』(公孫丑上、岩波文庫版上巻132頁)の一句が書かれたものです。まことに乃木大将と共に至誠の人と称されて然るべき東郷元帥の揮毫されそうな名句です。乃木大将が明治天皇のご大葬に際して殉死したのを聞いて、東郷元帥は「見るにつけ聞くにつけても、ただ君の真心のみぞしのばれにける」と心からの哀悼の意を詠じておられます。

『孟子』の当該箇所にはこの句に先立って、「以力服人者非心服也、力不贍也」(力を以て人を服する者は、心服せしむるに非ざるなり、力贍[た]らざればなり)、つまり「武力で人民を服従させるのは表面だけで、心からの服従ではない。ただ力が足りないのでやむなく服従したまでだ」という言葉があります。この一段は、徳を以て治める「王道」と、表面だけは仁政のふりをしてその実は武力で威圧する「覇道」との根本的相違を、亜聖と称(たた)えられた孟子が説かれたものです。

古き良き時代の日本人は、このような東洋の聖賢の気高い教えを肝に銘じて日常を過ごされた方がおられたように思われます。そのひとつの典型的例が東郷平八郎元帥でしょう。元帥の偉大さはただ単に日露戦争での軍功のみによるのではなく、むしろ逆に、「天は正義に与し、神は至誠に感ず」という人生の一大信仰を堅持して、難局に際会してもいささかも動ずることのなかった元帥に、天が感応して勝利を賜ったのであろうと推測されます。元帥はまた、「愚直と笑わるるとも、終局の勝利は必ず誠実な者に帰すべし」とも言われております。

翻って現今の日本の政治家たちの体たらくは、目を覆いたくなるような情けないものです。特に現在の安倍内閣と自民党の面々の言動には、多くの国民が疑惑と失望とを禁じ得ないのではないでしょうか。姑息な言い逃れに終始する小人的政治家たちには、国家国民のために私心を捨てて奉仕するという微塵の「至誠心」も感じられないように思えるのは、小衲だけではないでしょう。山口県出身の安倍氏は『孟子』を獄中で講義して服役者たちを感化した吉田松陰の事歷をご存じないのでしょうか。

力や権謀術数に頼り切る者には天も神も味方せず、やがて天や神からも見放されることは必定でしょう。私たちも政治家たちの醜態を自らを顧みる恰好の材料として、いま一度「天與正義、神感至誠」(天は正義に与し、神は至誠に感ず)という東郷元帥の高邁な信条をしみじみと味わってみたいものです。

「鈍工夫再論」2017年6月【No.168】

拙寺である光雲寺では「南禅寺禅センター」としての年間1万4千人以上の坐禅研修者を受け容れている以外に、毎土曜の午後8時から9時迄の夜坐禅(無料)と月二回の月例坐禅会とを行っております。特に月例坐禅会はもう25年以上継続しており、毎回ではありませんが、ときおり新たな参加者が来られます。遠方からの来訪者も珍しくありません。

そうした中で、新潟県の魚沼市から来られた30代半ばの男性の方がいます。これまで数回来られただけなので、旧参の参加者もなかなか名前を聴いてすぐにお顔を思い出すのは難しいようです。その方から先日思いがけず工夫の充実と悦びと感謝の念に満ちあふれたメールを拝受致しました。

その男性は「二十代前半で禅に出逢ってからほぼ十年の間、日々の心得などで色々と迷い試行錯誤することがありましたが、老師にご指導頂き、無字の工夫の素晴らしさを実感できてからは、基本的なところで迷うことはなくなりました。」と述懐しておられます。

「無字の工夫」というのは、公案を使う臨済禅に参じた人の多くが老師から与えられる、「初関」と呼ばれる最も基本的な公案です。小衲は月例坐禅会の参加者には少なくとも半年は続けないと公案を与えませんので、この男性の工夫も小衲に参禅して公案を授かった上でのことではありません。初めての参加者には「随息観」か「数息観」をやってもらうのですが、坐禅会後の話の際には、「動中の工夫には無字三昧の工夫が一番乗りやすい」ということを自らの経験を踏まえてよく申し上げておりますので、この方も恐らくは小衲のその時の言葉を肝に銘じて日々工夫に励まれたに相違ありません。

しかし当方の垂戒を真受けして真っ正直に工夫に邁進する人は稀と言っても過言ではありません。この人が真摯に工夫されたことは「鈍工夫」ということに着眼されていることからも察知することができます。「ホームページで老師が『鈍工夫』について書かれているとおり、その時々の心境や体調、状況などに一喜一憂せず、呼吸に合わせて『無—』と続けていくと、おのずから色々なものが一番よい状態に整っていくように感じています。」

「鈍工夫」とは成果を気にかけず、周囲の出来事に心を動かされず、ひたすら馬鹿になり切って目の色を変えて四六時中公案工夫に心血を注ぐことを申します。南禅寺の南針軒・河野霧海老師は骨身を削って工夫に邁進された幕末生まれの名僧ですが、「今の若い人達はのう、ただ小賢うばかりなって鈍工夫というのが足らんからトンと定力が無うて困る。」と苦言を呈され、理屈を言わずに「無、無、無・・・と明けても暮れてもやるがええ」と親切に示されております。

何年も坐禅会に参加している人でも、こちらのいうことを真受けして精進している人は稀です。専門道場の雲衲もまた然りです。この新潟の男性は「老師にお会いして直接話を伺い、あるいはホームページを毎日のように拝読する中で、本当に多くのことを学ばせて頂いております。・・・あらためて、本当にありがとうございました。老師のお蔭で無字の工夫を続けていくことに迷いはなくなりました。また時間を作って光雲寺にお邪魔したいと考えております。今後とも、ご指導をよろしくお願い致します。」と実に素直な受け取り方です。このような態度で日々精進すれば、心の底からの安心を得ることも不可能ではないと思います。

小衲がよく提唱で申し上げることですが、「本当に願心のある人は、やれといわれなくても自分から進んで邁進する」ものです。老師などの助言や手助けを期待したり、指導が不充分だなどという不満や愚痴をこぼす人は、隙だらけの無道心の人と言えるでしょう。

禅の工夫に参じる人は、どうかこの男性のように、師家のいうことをそのまま真受けにして素直に工夫しさえすれば、法悦を体得することは間違いありません。浄土宗総本山知恩院の国宝・御影堂の大屋根が最近葺き替えられたそうですが、この屋根の上には「葺き残しの瓦」と呼ばれる謎の瓦が何枚か置かれております。屋根の葺き替えには完成などというものはない、無限の向上が必要となるという先人の熟練職人の偽らざる実感でしょう。われわれ禅の工夫に参じる者も、どこまでいっても「未在、未在」「更に参ぜよ、三十年」の心構えを保持したいものです。

「更に参ぜよ、三十年」2017年5月【No.167】

桜も散り観光客で混雑していました南禅寺、「哲学の道」界隈もやや静けさを取り戻した感がありますが、今は新緑が眼にはえて新鮮に映ります。ことに雨の降ったあとなどに見えられた来客の方々は、異口同音に庭の緑の鮮やかさを称賛されます。この時節が来るといつも想起しますのは、「薫風自南来、殿閣生微涼」(薫風、南より来たり、殿閣、微涼を生ず)という句です。この対句はもともと唐代の文宗皇帝が作った起承の二句である「人皆苦炎熱、我愛夏日長」(人は皆炎熱に苦しむ、我は愛す、夏日の長きことを)に対して文人の柳公権が転結としてつけた語です。

かつて坐禅会の或るメンバーが「我が家に何か名前をつけて頂きたい」と依頼してきたことがありますが、そのとき小衲は「薫風庵」と揮毫致しました。来訪された人が、まるで新緑の間を吹きわたる「薫風」に遭遇したような心地よさを感じるお宅となればいいな、という願いをこめたものです。

この「薫風自南来、殿閣生微涼」の対句は、『碧巌録』で名高い圜悟克勤禅師が上堂の時、「或る僧が、雲門文偃禅師に『如何なるか是れ諸仏出身の処』と問うと雲門禅師は『東山水上行』と答えられたが、わしなら『薫風自南来、殿閣生微涼』と答えるであろう」と言われたのを聞いて、大慧宗杲禅師が言下に大悟されたという話はいやしくも禅の修行者なら知っていなければならない有名な話です。

さて、薫風が新緑の間を吹き抜ける心地良い時節とはなりましたが、この時期には時おり強風が吹いて樫の葉などがよく散らされます。加えて、暖かくなってきたせいで、境内一円の雑草が勢いよく生い茂ってきます。特に雨が続くとたちどころに雑草が伸びます。まことにお寺では次から次へと作務をする必要が生じてきます。しかしそれを嘆いたり、不満を感じるようなことではいけないでしょう。
文宗皇帝の「人皆苦炎熱、我愛夏日長」ではありませんが、落ち葉や雑草のお蔭で作務をして身体を動かせる有難味を感謝したいものです。

小衲が定期検診を受けている名医の和田洋巳先生は、「雲水生活がもっとも健康的な生活です。しっかり太陽を浴びて作務をして汗をかいて下さい」とアドヴァイスして下さいますが、落ち葉を掃いたり、草引きをしたり、畑の畝作りをして身体を動かすのは本当に心地よいことです。ただ、いずれの場合でも手を抜かずに心をこめてすることが大切です。掃き掃除をするにしましても、落ち葉一枚残さない、雑草を抜くにも、一本たりとも取り残さない気迫が必要です。大雑把にすれば事足りるというような横着な気構えでは、断じて身についた修行とはなりません。弟子たちに「もっと心をこめて落ち葉一枚取り残さぬように」と注意を与えることが再三あります。本当に心をこめて作務をすれば、その跡が光を放ち、期せずして他人を感動させることができるはずです。

とは申せ、本当に雑草一本残さずに除草などできるはずはありません。掃き掃除にしましても、「落ち葉一枚残さずに」というのは、至難のわざです。小衲が隠侍をさせて頂いた建仁寺管長の竹田益州老師は日露戦争勃発の歳に出家されたお方ですが、刻苦精励され、管長となられた後も、八十五歳に垂んとするご高齢でありながら、日々の作務を欠かされることはありませんでした。お風邪を召されてもなお草引きをされておられた気高いお姿を思い起こして、作務をしながらも「自分はまだまだ管長さんの足元にも及ばないな」という感慨が沸いてまいりました。「未在」とか「更に参ぜよ、三十年」という禅語がありますが、どこまでいっても修行はこれでもう十分だということは決してないでしょう。

先日、寺庭婦人(寺院の奥様方)研修会の坐禅の際の法話で、「雲水修行時代はとても大切な期間です。お子さんたちのことを心底思われるのなら、早く引かせるのではなく、一年でも長く僧堂生活を続けられるようにご支援をお願いします」と申し上げた次第です。僧堂生活を送る雲衲たちには、是非とも万事に心を尽くして骨を折り、真の法悦を体験して頂きたいものです。

「畢竟じて何の用ぞ」2017年4月【No.166】

お彼岸も終わり、ようやく春めいた時節になって参りました。桜の花もぼちぼち開花して春の訪れを告げております。これから京都の南禅寺・「哲学の道」界隈はますます人出が多くなります。春はまた入学のシーズンでもあります。この光雲寺で一緒に仏道を学んだ青年たちのことを以前のコラムで申し上げましたが、一人は大学での勉学に、一人は禅修行のために専門道場にと、新たな門出を迎えました。二人の好青年の前途に幸多からんことを祈らずにはおれません。

二人とは、『論語』以外に、日本曹洞宗開祖の道元禅師(1200−1253)の『正法眼蔵随問記』を拝読致しました。この著作は法を嗣がれた懐奘(えじょう)禅師(1198−1280)による道元禅師の説示の聞き書きです。道元禅師というお方がいかに真剣に仏道に精進されたかということが一番良く分かるのが、あたかも禅師の肉声を聴く思いのするこの『随問記』だろうと思います。禅や仏道に関心のある人たちにとって、この書は必読であると言っても過言ではなく、この書を知らないままで過ごすのはまことに残念でもったいないことです。

その中に記されていることですが、禅師が在宋のとき、禅の道場で古人の語録を拝読されていたときのこと、四川省出身の道心のある僧が、「語録を見るのは一体何のためだ」と尋ねたので、禅師が「古人の行履(あんり)を知るためです」と答えると、「何のためだ」と問うたので、「郷里に帰ってから人々を教化するためです」と答えると、「それが一体何の役に立つのか」と重ねて問いただしたので、「衆生済度のためです」と応じたところ、「畢竟じて何の用ぞ(それが結局何になるというのか)」と問い詰められたので、さすがの禅師も反省するところがあり、それ以降は語録などを見ることをやめて、坐禅三昧に精進して大悟徹底し、仏法の大事を明らかにすることができた(「其後、語録等を見る事をとどめて、一向に打坐して大事を明らめ得たり」)と述懐しておられます。

現在も禅の専門道場である僧堂に掛搭する際には、必要最小限の書物以外は持参を禁じられております。語録を拝読して古人の行履(修行歴)を知るのは僧堂掛搭以前にやっておくべきことです。古人の行履を知ることは、自分自身の修行の発憤材料になりますので、小衲も出家する前の三年間を過ごした長岡禅塾では大学院には週に数度行く程度で、あとはなるだけ坐禅をし、その外に古人の行履を色々と勉強をしました。

ところが或るとき、森本省念老師のお世話をしておられた庵主さんから、「閑栖(かんせい、隠居)さんが、田中君は夢窓国師の遺誡を知っているのかなと言っておられた」と承ったのです。その頃には隠居しておられた森本老師は、「閑栖さん」と呼ばれていました。「夢窓国師遺誡」は温厚そうな風格の国師からは想像もできないほどの峻烈なもので、天龍寺や相国寺の僧堂ではこの遺誡を日ごろ肝に銘じて唱えております。「我に三等の弟子あり、いわゆる猛烈にして諸縁を放下(ほうげ)して専一に己事を究明する、これを上等とす、修行純ならず駁雑にして学を好む、これを中等という、自ら己霊の光輝を昧(くら)まして、ただ仏祖の涎唾(えんだ)を嗜む、これを下等と名づく、もしそれ心を外書に酔わしめ、業を文筆に立つる者、これはこれ剃頭(ていず)の俗人なり、以て下等となすに足らず(以下略)」と始まるものです。意味は自ずから明らかでしょう。

森本老師は、出家する身であるのにいまだ文字に拘泥していた小衲のことを心配されたのだと考えられます。このたび新たな門出を迎えた二人の好青年たちも、学問に専念しても、単に社会的名声やわが身の栄達を目指すことなく、「畢竟じて何の用ぞ」と自問自答し、僧堂生活に入っても、単に僧堂歴を取得して禅寺の住職になるための修行に満足せずに、「畢竟じて何の用ぞ」と自問自答して、本当の心からの大安心の境地に到ってもらいたいものです。合掌。

「禅修行における作務の醍醐味」2017年3月【No.165】

拙寺である光雲寺では、南禅寺本山からの寄託を受けて「南禅寺禅センター」の看板を掲げて一般の方々、特に修学旅行の生徒さんたちの坐禅研修を行っておりますが、それ以外にも25年以上続く月二回(原則として第二、第四日曜日)の月例坐禅会(午前8時より午後2時半まで)、毎土曜日の午後8時より9時までの無料坐禅会(午後7時50分までに入堂のこと)などを行っております。

禅センターの研修でもごく稀に作務(さむ、労務)を希望されるグループもありますが、通常は月例坐禅会の場合にのみ一時間半ほどの作務を行ってもらいます。小衲の経験から申せば、坐禅だけよりも、作務も併修した方がかえって良い坐禅ができるように感じます。禅修行では作務も坐禅に劣らず重要な修行の一環です。中国唐代の名僧・百丈懐海(えかい)禅師は「百丈清規(しんぎ)」を作って叢林の規矩(きく)を定められた方ですが、禅師が老齢になられても作務を一向にやめようとされないので、弟子たちが気遣って作務の用具を隠したところ、百丈禅師は終日食事をとられず、「一日不作一日不食」(一日なさざれば一日くらわず)との名言を吐かれたと言われております。

それ以来、「作務」は禅宗では殊に重要視されており、僧堂で長年修行された方はみな、庭木の刈り込みや畑の畝(うね)を耕したり、また色んな料理を作るのも得意とされる方が多いものです。僧堂生活を経験した者が感じる有難味です。南禅寺の山内にも、いつ伺っても作務三昧にいそしんでおられる和尚様がおられます。小衲が隠侍をやらせて頂いた二代前の建仁寺管長の竹田益州老師は、それこそ百丈懐海禅師に勝るとも劣らぬほどの作務三昧のお方でした。何しろ出家されたのが日露戦争勃発の歳で、和尚から真冬に「頭から井戸水をかぶれ。禅僧はいざとなれば脇腹に短刀を突き立てるくらいの覚悟がなければできるものではないぞ。」と叱咤激励され、頭から水をかぶってその寒さに震え上がられた経験をお持ちの方です。戦後生まれの我々とは格段に違った厳しい修行生活を送られたでありましょう。八十代半ばを過ぎられても、なお連日の作務三昧をやめようとはされませんでした。或るときお風邪を召されたので、「今日は作務を休まれるだろう」と思っておりましたところ、股引をはいて開山堂の草引きをされていたのには正直感嘆致しました。口でとやかく説くよりも、身を以てする「以身説法」はずば抜けた感化の力があります。管長さんのその当時の気高い行履(あんり)は、小衲の眼に今でもはっきりと焼き付いております。

つい先日の月例坐禅会の作務では、お寺の畑の除草を参加者の皆さんにやって頂きました。十数人の人たちが一時間半の間熱心にやって頂いたお蔭で、生い茂っていた雑草がほとんど抜かれて畑が見事にきれいになりました。そこで小衲も、坐禅会が終わった午後三時頃から二時間ほどかけて堆肥を
ひっくり返して山のように積まれていた落ち葉や抜かれた雑草などを堆肥に混ぜて、まわりを綺麗に箒で掃きました。驚いたことに、通常は小衲が畝を耕している間に二人の二十代の若者にやらせている堆肥の作業を、実に楽に行うことができました。小衲はこの一月に、数えで言えば「人生七十、古来稀なり」といわれた古希を迎えたのですが、これほど楽に重労働の作務を行うことができたのは意外でした。

もとより小衲よりもはるかに年長の方々でも、職業上この程度の労働をわけなくこなしている方々も数多くおられることでしょう。別にわが身のこの経験を自慢するつもりで申し上げたのではありません。しかしどうしてかくも楽に作務を行うことができたのかに関して自分なりに考えてみると、何といっても作務を仕事と思わず、楽しみながら力を抜いて淡々とやっているからということに帰すると思います。15年ほど前のことでしょうか、ドイツ人の女性が禅の修行をしたいと言って小衲のところに訪ねて参りました。当時はまだ南禅寺の塔頭に居候をさせて頂いておりましたが、彼女は通いでやって来て作務や坐禅に励みました。或る日、小衲が朝から庭園全体の刈り込みを行ったあとで訪ねてきたドイツ人女性と一緒に刈り込んだ枝葉を掃除し始めて二時間くらい経った頃でしょうか、彼女は「これはいくら何でも一日の作務の分量としては多すぎます」と苦情をもらしました。小衲はとっさに、「それは君が作務をしているからだ」と答えたのです。分別して考えた上で吐いた言葉ではありません。その時の境涯で、とっさに出た言葉です。彼女はそれに対して、「それは貴方は専門の禅僧だから楽にできるのでしょう」と反論しましたので、小衲は「君はいつも弁解ばかりだ」ときつい言葉を投げかけると、彼女の顔の血の気がサッと引いたことを覚えております。ただ彼女はそののち良い境地に達して帰国したことを付記しておきます。

真に作務三昧に成り切ってやっていれば、「作務をしている」という意識はなくなります。一流のピアニストは自分の手を意識することなくピアノの演奏をしているはずです。ただ、禅の臨済宗では公案に四六時中目の色を変えて取り組むことを課せられておりますので、作務をしながら坐禅中よりも深い禅定に入ることが良くあります。「動中の工夫」の重要性は古人も再三力説されているとおりです。小衲も良く工夫三昧で作務をしていて、えも言えぬ佳境に入ったことが幾度となくあります。

肝心なことは行住坐臥に関わりなく工夫三昧になることです。その法悦たるや、「知り人ぞ知る」醍醐味があります。どうぞ出家・在家を問わず、一人でも多くの方がこの三昧境を味わって、充実した人生を送って頂きたいものです。合掌。

(なお、三月の月例坐禅会は、26日の第4日曜日に塔頭の法要がありますので、12日の第2日曜日のみとさせて頂きます。)

「禅と心の修養」2017年2月【No.164】

多くの方がご覧になったと思いますが、全豪オープンテニスのフェデラー(スイス・35歳)とナダル(スペイン・30歳)の決勝戦は「グランドスラム史上最大のビッグマッチ」と言われるほど、まことに見応えのある試合でした。それもそのはず、フェデラーはこれまで17回のグランドスラム優勝経験があり、ナダルも14回で、歴代1位と2位の対戦でした。二人の対戦成績はナダルの23勝11敗です。しかも二人とも手首や膝の故障で長期の休養をとったあと、そろって戻って来たところで、当人自身らもこのような「奇跡」の決勝戦が待ち構えているとは想像すらしないことでした。「長年テニス界に貢献したフェデラーとナダル、そしてファンに与えられたテニスの神様からの最高のギフト」という感想を述べた人がありますが、本当にその通りです。

素晴らしいのは、この二人がお互いをもっとも尊敬している間柄だということです。「ラファのプレースタイルが大好きで、プレーを見るのも大好き。彼にも辛い時期があったけど、今こういう状況になって嬉しい。僕も彼の世界一のファン。彼も僕の世界一のファン。決勝で戦えたら、本当に素晴らしいこと」というフェデラーと、「ロジャーとこの大舞台で戦うのは名誉。これ以上、幸せなことはない。よい友人であり、最高の人。尊敬している」というナダルの言葉から、二人は本当に「美しきライバル関係」であり、最高のスポーツマンシップの持ち主といっても過言ではないでしょう。

二人の対戦中に目についたのは、特にフェデラーがそうでしたが、たとえミスをしても顔色に出さないということです。一々のミスにその都度反応していたのではたまりません。二人とも少々のことにはものの数ともせずに次のプレーに移るのを見て、「さすがは幾度となく頂点を極めた風格の持ち主だ」という感を深くしました。これに対してフェデラーに敗れた錦織選手は失敗するたびにいかにも落胆した表情をあらわにしました。こういう人をへこますことは比較的簡単なことです、自分の弱みを相手にさらけ出しているわけですから、そこをついてますます落ち込ませればよいのです。「せっかくチャンスがあったのに、こんな負け方をして自分自身に失望している」と「肩を落とす」とは、何と収穫のない反省の仕方ではないでしょうか。

それとは対照的に、フェデラーのように、どんなミスにも顔色ひとつ変えずに泰然自若としている人は、風格もありますし、つけ込まれる隙(すき)が少ないと思います。錦織選手は小衲も同じ日本人として応援しているのですが、グランドスラムで優勝するには、まだまだ肝心要(かんじんかなめ)の心の修養がたいぶ不足していると言ってよいかと思います。

錦織選手のメンタル面の弱さを、マイケル・チャンコーチも松岡修造氏も指摘していますが、それはつまるところ「念を起こす」ということに帰着すると思います。禅の臨済宗宗祖の臨済義玄禅師は、「已起(いき)の者は続ぐこと莫れ、未起の者は放起することを要せざれ。便ち汝が十年の行脚に勝らん。」(まだ雑念が出ていなければ、出さない方がよい。もし雑念が出てしまったら、雑念を続けないことだ。そうすれば、十年間みっちり禅の修行をするよりも、勝ることになるであろう。)と言っておられます。「念を起こす」ことをいかに問題視されているかがよく分かります。だいぶ以前のことになりますが、「南禅寺禅センター」の坐禅研修に、京都大学の免疫ゲノムの研究を行っている大学院生のグループが主任教授の引率のもと、坐禅研修に来たことがあります。小衲は貫禄のあるその主任教授に対して、「一体、最先端医学の研究者の人たちがどうして坐禅工夫の必要性を感じられるのですか」と尋ねたところ、「いやー、やはり雑念が起きますからね」という答えが返ってきました。雑念により心が曇っているようなことではよい研究ができないという自覚をもっておられたようです。

この春に僧堂に掛搭する予定の好青年と『雛僧要訓』や『論語』などを一緒に勉強していると、以前のコラムで申し上げましたが、掛搭の日が迫りましたので、小衲の体験から、「どうすれば充実した僧堂生活が送ることができるか」ということを心をこめて話しております。もっとも大切なことは、四六時中工夫三昧をしていれば、自然にえもいえぬ法悦が醸成され、僧堂生活が充実するということです。「四六時中の工夫三昧」とは数息観や公案を行住坐臥成り切って行うことです。「四六時中などできるはずがありません」と口答えするような人は、真箇の法悦に入ることなど金輪際できないでしょう。

禅の専門道場である僧堂では、最初の数ヶ月は数息観に専念させた上で、無字か隻手の初関を課せられるのが普通です。公案工夫というのは、何も坐禅の間だけではなく、それこそ行住坐臥、目の色を変えて取り組むべきものです。それを行っていれば、他人と雑談したり、他の雲水修行者を批判的に見たり、いわんや師家の悪口を言ったりなどという愚かなことは起こりえないはずです。

しかもどのような未曾有の境涯が現前しようと、小成に安んぜず、「得ては捨て、得ては捨て」して向上の一路を目指さねばなりません。真剣な工夫をしていれば、何事に対しても我見我慢を起こすことなく、真心から成り切ってできるはずです。こうした充実した工夫三昧の毎日こそ、雲水修行の醍醐味といえましょう。

願わくは、かの前途有望な好青年が、よそ見をせずに、できるだけ長く真っ正直に修行に邁進し、法悦の何たるかを存分に味わってくれることを心から願わずにはおれません。合掌。

「旧年の回顧」2017年1月【No.163】

新年明けましておめでとう御座います。

昨年も色々と自然災害があり、そのため新年をどのように迎えればよいのか、ほとんど途方に暮れておられる方々も多いことと拝察致します。

4月14日の夜に熊本県を襲った地震は西原村と益城町とで震度7の地震が連続して起こるという未曾有の激震となりました。とりわけ熊本のシンボルとして観光の中心をなす熊本城の甚大な被害は、熊本県民の方々にとって衝撃的な出来事だったことでしょう。石垣などの再建には数十年の歳月と莫大な費用がかかるということですが、復元された偉容を見て熊本の人々に笑顔が戻る日が待たれます。

また土砂崩れによる阿蘇大橋の崩落は地震被害の凄まじさを如実に感じさせるものでした。熊本ではまだ4割の被害家屋が復旧のめどすら立っておらず、益城町などではいまだに瓦礫の山ということですが、県や国が災害対策にもっと真剣に取り組み、一日も早く元の姿に戻る日が来ることを祈りたいもので御座います。

また8月以降に4つの台風が相次いで北海道に襲来し、「激甚災害」に指定されるような大きな被害をもたらしましたことは、まだ記憶に新しいところでございます。農作物などの甚大な被害のために農家の人たちは大変困っておられるということで、農家の方々のご苦労のほどが思いやられます。

実は熊本地方は今回の大地震以上の壊滅的な被害を蒙ったことがあります。明治10年(1877)に勃発した西南戦争のときです。石光真清氏の全四巻からなる手記(中公文庫)は毎日出版文化賞受賞作ですが、その第一巻である『城下の人』は、明治元年に熊本城下に生まれ、神風連の乱や西南戦争を間近で目撃した石光氏の貴重な実録です。そこには熊本城を守る谷干城を初めとする鎮台軍(政府軍)が、考えられないことですが、戦略上の作戦により、西鄕隆盛率いる薩摩軍が来襲する前に熊本城天守閣に火をつけ、熊本城下をも一面の火の海にしたのです。

炎々と燃えさかる熊本城天守閣を目の当たりにして石光氏は次のように吐露しています。
「慶長12年、(加藤)清正公の手によってお城が完成されて以来、二百有余年の間、私たちの先祖代々が、この城下に生まれ、この城を仰いで育ち、この城を守り、この城と共に栄えてきたのである。そして、自分たちの宝として誇り、藩主細川公の居城として尊敬してきた名城ではないか。一朝に焼尽していくのを目前に見て、嘆き悲しまない者は一人としてある筈がない。」(上掲書、78頁)

熊本城を訪ねられた方は、この城が鉄筋コンクリート製であるのを知っておられることと思いますが、実はもともとの熊本城はこのように政府軍の所業により焼失したのです。石光氏の述懐にはこの歴史ある名城に対する熊本の人々の熱い思いが如実に見て取れます。
石光真清氏の全四巻からなる手記は、この時代の人たちの気高い言動が随処に伺うことのできる貴重な記録です。御一読をお勧め致します。

どうか熊本地方の復興が早く成就することを祈り、それと共に、来年はどうか大きな自然災害がないように願いたいものです。