「仏縁」2024年7月【No.251】
最近は「仏縁」を感じざるを得ない色々な人たちとの出会いがあります。或る有名な門跡寺院の門跡さんが副住(職)さんを伴い、「土曜の夜坐禅に参加させますので、ご指導をよろしくお願い致します」と依頼に見えられたのです。私は仏陀の入出息念定の工夫の仕方を説明して、「大切なことは坐禅の間だけではなく、常日ごろこの工夫を真剣に行うことです」と付け加え、「何事でも尋ねたいことがあれば、私にメールでおたずね下さい」と名刺を渡しました。土曜の夜坐禅に参加された際にも、「工夫を継続していますか」とたずねると、「はい、しております」という返事です。真面目そうな方なので、きっと人一倍真剣に工夫に励まれることでしょう。
いま1人は最近坐禅研修に参加された若い男性です。彼は聞けば、私の知り合いの旅館直属の人力車の車夫をしているということで、知り合いと共に坐禅に参加を希望したのです。私は自分の三昧境の工夫と体験を話したあとで、「人力車を引いておられるということなので、それにちなんだ禅の話を致しましょう」と言って、相国寺の名僧・独園(どくおん)禅師の話をしました。それは或るとき信者さんからの依頼でお参りに出かけられる際に、人力車の車夫が、「管長さん、私は難しいことは分かりませんが、禅とはどういうものでしょうか」と突然たずねたのです。独園禅師は、人力車を止めてもらい、「ちょっとわしと代わってくれ」といって、車夫を人力車に乗せてご自分が車夫となって人力車を引いて走ったということです。恐縮して、「もう結構です。お止まり下さい」という車夫に対して、禅師は「どうだ、これが禅というものだ」といわれたということです。私がこの話しをして、「どうです。面白いでしょう」というと、「面白いですね」と話を聞いていた男性が応じました。管長などという地位にもとらわれず、車夫でも何でも臨機応変にするというのが、禅の本当の面目です。私の好きな禅語に「自ら瓶(へい)を携え去って村酒を沽(買)い、却(かえ)って衫(さん)を着け来って主人となる」というのがあります。走り使いもするし主人にもなるという無碍(むげ)自在な境地でありたいものです。
その他にも、毎月私のところに工夫の点検をしてもらいにやって来る男性がいます。こうした「仏縁」がますます純熟して仏法が次第に興隆して行けばと念願しております。
(追伸)今月のコラムが遅延しましたことをお詫び申し上げます。