「求道心」2025年02月【No.258】

最近熱心に禅の修行をしたいと思う人との縁が増して来ています。1人は1年ほど前から月例坐禅会に参加し、毎土曜の夜坐禅にも熱心に通っている50代初めの音楽家の男性です。ある時、坐禅会が終わってからご相談したいことがあるというので話す時間を設けたのですが、案の定、「出家したいと思います」という要望でした。私は「50代の方が20代の若い雲水修行者と一緒に修行に励むのは大変ですよ」と正直に伝え、まず手始めに5月1日から1週間続く、僧堂の入制大摂心(集中的坐禅期間)に参加することを勧めました。そして私が在家から出家する3年前の25歳の時に初めて入制大摂心に参加して、四六時中数息観に没頭し深い三昧境に入ったことを話して、「あなたもまず私のように数息観に専念して真の三昧境を経験してみて下さい」と勧めました。彼は現在のところ予定を調整中ということですが、おそらく参加することになるかと思います。

 いま1人は拙寺に下宿している学生さんです。彼は京都大学で宗教学を専攻しているのですが、兵庫県の真宗のお寺の息子さんで、いずれそのお寺のあとを嗣いで真宗の僧侶になる人です。彼には私の所蔵している『法然上人全集』や『蓮如上人御一代記聞き書き』や『妙好人因幡(いなば)の源左』などの書物を貸して、ぜひ読むように勧めた経緯があります。また、「親鸞上人は聖徳太子のことは色々と話されているが、仏教の開祖である仏陀(お釈迦様)のことは全く言及しておられないのはどういうことなのか。仏陀のお悟りが根本にあって、仏教が成立したのではないか」と彼に問いかけたことがあります。そして「真宗の僧侶の道を歩む君にとっても、禅宗の修行や工夫を経験することは必ず実り多きものとなる」と勧め、折りに触れて工夫の仕方や私の折々の境地を話して来ました。

 ある日彼は私に、「母が寺庭婦人3人で光雲寺に伺い、管長さんのお話を聞きたいと言っております。その際はどうぞよろしくお願い申し上げます」と話しました。私は少し驚きました。というのは寺庭婦人(お寺の住職の奥さん方)は全員浄土真宗の方だからです。「実は私一人でいつもお話を聞くのはもったいないと思いまして、私が母に勧めたのです」と彼は言いました。真宗の寺庭婦人方がお見えになれば。心を込めて応対しようと思っております。
 また彼は私に対して、「2月11日から5日間、集中的に坐禅工夫をしたいと思いますので、ご指導よろしくお願いします」と懇願し、後日剃髪して禅の修行をする覚悟のほどを示しました。
 
 道を求める心を求道心(ぐどうしん)と言います。現在の臨済宗の禅道場は修行を志す雲水がかなり少なくなってきておりますが、ここに述べたように求道心をもって修行しようとする人たちが増えることを願ってやみません。

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