「禅の調息」2023年12月【No.245】

 去る10月28日に「南禅寺文化講座」が本山の龍淵閣で開かれました。これは例年この時期に恒例で行われる催しです。最初に管長である私が「調息と公案工夫」という演題でお話し致しました。その後30分ほどの椅子坐禅があり、引き続いて日本を代表する書家の杭迫柏樹先生が、プロジェクターを使って書道の実際を説明されたあとで、「私の学書十か条」と題して書を学ぶ上での大切な心構えを述べられました。私はいつも自分の講演が終わると帰るのですが、杭迫先生のお話だけは拝聴したいと思い、居残りました。
杭迫先生をお招きしたのは、私が月一回書道の教授に光雲寺にお越し願っているのを知った前教学部長が、先生を非常に尊敬していて、「今回はぜひ杭迫先生を文化講座の講師としてお招きされたらいかがですか」と内局に進言して、それが実現したという経緯があります。あるとき、去る10月4日に僧堂に掛搭して修行生活に入ったドイツ人の青年がお抹茶を持って来た姿をご覧になって、杭迫先生は「あの人は立派な人ですね」と讚(たた)えられました。彼は19歳で、先生は88歳の米寿を迎えられた書道界最高峰の方ですが、その先生が彼の所作を一見して彼の道心堅固を見抜かれ、70歳も若い禅の修行者(雲水)を素直にほめられた先生の境涯に感心致しました。
そのドイツ人の雲水はいま禅の専門道場で修行のまっただ中です。老師からは「数息観」を行うように指導を受けているようです。数息観は出入の息を数えて三昧境に入る、いわゆる調息の工夫を申します。仏陀の工夫の仕方は呼吸を数えることなしに、ただ出入りの呼吸に集中して三昧境に入り、解脱に到るという「入出息念定」(随息観)ですが、いずれのやり方でも呼吸ひとつになり切って素晴らしい禅定に入ることが可能です。
 現今の臨済禅の道場ではそうした調息は公案工夫の予備的段階と見なされているようですが、実は仏陀はこうした調息こそが解脱(お悟り)への最短の道であることを力説しておられます。現在公案禅では初関の「無字の公案」などをわずか数ヶ月で許してしまう傾向がありますが、見性(けんしょう、お悟り)に達するまで引っ張るのが本当の親切と言えるのではないでしょうか。無門慧開禅師は見性して無字の公案を真に透過されるのに6年の歳月を費やされたということですが、師匠の月林師観禅師がもし早く安易に許されていたなら、真の大悟に到るということはなかったと思います。
 皆さん方も禅の修行をされるのなら安易に許可されることのない老師に就かれることをお勧め致します。

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