「禅堂の修行生活(その1)」2017年11月【No.173】

禅宗の僧堂での修行の有様について訊ねられることが時たまあります。禅修行が厳しいということは一般に良く知られておりますが、一般には門戸を開放していない僧堂の修行生活に関心を持ち。厳しい修行を経験してきた禅僧に対して畏敬の念をもつ人があるのも事実です。ただ小衲が僧堂に掛搭しましたのは四十年以上も前のことですから、僧堂の現状はその当時とはだいぶ様変わりしていると思わなくてはなりません。そのことを念頭に置いて頂いた上で、小衲が自分で実際に経験した僧堂生活について、いささかお話し申し上げます。

この場合の「禅宗の修行生活」というのは臨済宗の修行生活です。曹洞宗や黄檗宗などの修行生活の経験は、小衲は持ち合わせておりません。ただ曹洞宗出身者で臨済禅の修行をする人は、道元禅師の影響でたまに見かけますが、そういう人から聞いた話では、曹洞宗は一般的にはどうやら臨済宗ほど修行が厳しくないようです。

小衲が最初に掛搭した京都の或る僧堂では、粥座(朝食)のお粥の分量が二十人で、米一合と麦一合の計二合だったのには驚きました。あまりにも少ないと思い、後に典座という料理係になったときに三合に増やしましたら、上の人に「多すぎる」と注意されて、元の二合に戻しました。その次に転錫した道場では、粥の分量がたっぷりとありましたが、前道場のことを思うと、勿体なくて咽に入らない思いがしました。典座当番の人には、「沢山食べないのを美徳にように思っている者がいる」との批判を受けましたが、食べようにも咽に入らなかったというのが実情でした。

僧堂では開静(かいじょう)時間が午前3時半で、午後9時から11時までは禅堂の外で夜坐をしますから、睡眠時間は一番寝る者で4時間半ですが、みんなが寝静まってからも夜坐をするようでなくては道心あるとは言えません。小衲も大摂心(一週間の坐禅集中期間)の前から最中も夜坐を延長していたせいで、止静中にときおり無意識のうちに居眠りが出て警策で思い切り打たれた上、単蒲団から降りて敷き瓦の上に直接坐るように命じられました。それでもほとんど寝ていないので、いつのまにか居眠りが出たようです。縦警策といって樫の警策の握りの太いところで首筋にドンとばかり縦に打たれて横に吹っ飛び、「よっさん、お前はもう駄目か」という痛罵を浴びたことを記憶しております。「これでは身体がもたない」と思い、あまり極端に睡眠を削るのを中止してからは、そのようなことがなくなりました。

在家の方々から見れば、何という乱暴な修行かと思われるかも知れませんが、師匠の指示で入門した道場です。ちょっとやそっとのことで退くわけには参りません。ただ一番最初に掛搭した道場は「心臓が抜けるほど」と形容されるような警策や罵声の連続で、あまり本来の公案工夫に集中できなかったように思います。もっともこれは僧堂のせいというよりは、それに気を取られて工夫を十分できなかったわが身の至らなさが原因です。

参禅のあとでまた何人かで「もう一度参禅してこい」と数人がかりで室内に送られるいわゆる「ご案内」と呼ばれる慣習も、小衲にはあまり有難く感じられることがありませんでした。結局、同夏と呼ばれる同参の7人のうちで最後に残ったのは小衲だけでしたが、それも警策をあまりに打たれたせいで、背骨が変形してしまい、師匠に相談の上で、別の僧堂に転錫することを決意致しました。(続く)

(なお、11月の月例坐禅会は本山の開山忌などの都合で、5日の第一日曜日と19日の第3日曜日となります。)