「禅堂の修行生活(その2)」2017年12月【No.174】

小衲は最初掛搭した京叢林を結局2年半で下山致しました。そのきっかけとなりましたのは、あまり警策をもらいすぎて背骨に違和感を感じ、医者に診てもらってところ、背骨が変形していると言われたので、このままではいけないと思い、転錫を決意致しました。同夏(同参)の中には、一年で一番峻烈な臘八大摂心で警策を打たれまくって、臘八後の開浴(お風呂)の際に恒例として禅堂内の最高位の直日(じきじつ)さんが背中を流してくれることになっているのですが、彼の「ノートルダムのせむし男」のように打たれて曲がった背骨を見て、さすがに顔色を変えてすぐに病院に行かせた人がいます。彼はそのことがあってすぐに下山しましたが、7人の同夏(どうげ)で最後に残った小衲も、「これは別の僧堂に転錫した方がよい」と思い、師匠に相談の上、下山を決めた次第です。

鎌倉の建長寺僧堂に転錫したきっかけとなりましたのは、最初の僧堂の役位の一人が、「本当に見性しようと思うのなら、湊素堂老師の建長寺僧堂に行った方が良いよ。素堂老師は公案をなかなか許さないそうだよ」と助言してくれたからです。師匠の長岡禅塾の浅井老師からも「湊素堂老師は坐禅しすぎて足がこんなに曲がっている」という話をお聞きしたことがありました。ただ鎌倉に行く前に独摂心をしようと思い、和歌山県の古座川上流の知り合いの家を借りて一ヶ月ほど坐禅をしました。盤珪禅師や白隠禅師の独摂心を模範として、お粥だけで過ごし、「盤珪さんのように大岩の上で坐ろう」と思い、探しましたが、恰好な岩を見つけることはできませんでした。

夜中に豆電球をつけて坐禅をしていると、何やら天井からボタッと生き物らしきものが落ちて来ました。てっきりこれは昼間見た蝮(まむし)かも知れないと思い、電気をつけると、それは大きなムカデでした。山中での住まいではこうしたことはよく起こることでしょう。そうこうするうちに、僧堂に掛搭する日が迫ってきました。雪安居(せつあんご)に掛搭するためには10月初旬には掛搭する必要があります。小衲は10月5日の達磨忌の日に再掛搭致しました。

排水の陣で臨んだ建長寺僧堂では、なるだけ坐禅して動中にも公案工夫を続けるように努めました。同夏は3人いましたが、32歳の小衲が一番年少でした。素堂老師に初めて参禅した時の感激は忘れることができません。老師は、参禅が終わって拜をしている小衲に向かって、「私もあなたと同じ道を通ってこの禅門に入ったものです。もういちど生まれてきても、もう一度雲水生活をしたいと思っております」と実に穏やかな声で語りかけられました。老師はインド哲学を学ばれ、小衲はドイツ哲学からという違いこそあれ、いずれも哲学畑に飽き足らずに実参実究の禅の道に転じた経緯があります。小衲は思わずバットで殴られたような衝撃を受け、「この老師にずっとついていこう」と決意致しました。

建長寺僧堂時代は結局素堂老師が京都の建仁寺僧堂の老師として遷られたので、わずか半年ほどの期間でしたが、小衲にとっては非常に実り多い僧堂時代であったと申せます。それにつきましてはまた次回にゆっくりとお話し致しましょう。