「近世京都の宮廷文化展」2016年10月【No.160】

今月のコラムは「近世京都の宮廷文化」展のご紹介をしようと思います。

京都は延暦十三年(794)に桓武天皇が都として定められて以来、宮廷を中心として幾多の雅びな文化を育んで参りました。慶応三年(1867)十月十四日の十五代将軍・徳川慶喜公の二条城における大政奉還により、江戸幕府は統治権を京都の朝廷に返上してここに明治新政府が誕生したのです。若き明治天皇は江戸で直接政治をみて、関東の人心を安んずるために江戸を「東京」として行幸・滞在され、時の太政官(政府)も移動となったのですが、時の天皇が正式に都の移転を宣言されるいわゆる「遷都の詔勅」は発布されてはおらず、「行幸」である以上、京都の人々は「天皇はまた還幸される(京都に戻ってこられる)」と思い込んでいたようです。しかし天皇はそののちも京都には還幸されることなく、明治十年(1877)に京都御所の保存を命じられ、それ以降は現在に至るまで日本の首都は東京と考えられております。

京都で花開いた宮廷文化の粋を結集した最高の晴れ舞台が、天皇の大礼(即位式と大嘗祭)であることはいうを俟たないことです。明治天皇の時には、慶応二年十二月に孝明天皇が崩御され、翌年の正月に睦仁親王(明治天皇)が践祚され、践祚の後に皇位継承を知らしめんがための即位式は慶応四年八月二十七日に京都御所の紫宸殿にて行われ、大嘗祭(即位の礼の後で行われる新嘗祭のこと)明治四年十一月十七日に東京で行われました。

明治維新により東京遷都があり、天皇が国家の最高指導者に位置づけられてからは、旧皇室典範並びに登極令の制定により、天皇の践祚・即位に関する一連の儀式の様式が定められ、御大礼(即位の礼)は京都で行う旨が規定されていたため、大正天皇・昭和天皇の場合には、京都御所で平安様式により執り行われました。昭和二十二年制定の現行の皇室典範では場所については規定されておらず、平成の即位の礼・大嘗祭は皇居で行われました。このために従来は「紫宸殿の儀」と称していた儀式が「正殿の儀」と呼ばれました。

このたびの「近世京都の宮廷文化」展は皇學館大学・佐川記念神道博物館所蔵の小原家文庫をはじめ、大切に伝えられてきました江戸時代以来の大礼(即位式・大嘗祭)に関する貴重な史料に加えて、拙寺である光雲寺所蔵の東福門院(後水尾天皇の中宮・徳川二代将軍秀忠公の姫君)ゆかりの品々が展示されております。

会場は京都の伏見区にある京セラ本社の一階会場と、そこから徒歩五分の至近距離にある城南宮との二会場に分かれて展示されております。平安京の初めに都の安寧と守護を祈願して創建された城南宮は「曲水の宴」が催されることでも有名ですが、「方除(ほうよけ)の大社」と呼ばれ、方位の障りや家相の心配がないように祈願する人がお参りされるということです。

両会場とも貴重な展示品の数々が集められております。このような素晴らしい展覧会が可能となりましたのも、京都産業大学名誉教授であられる所功先生のご尽力によるところが多いと思われます。光雲寺に東福門院御像を初めとするゆかりの品々の出展を依頼してこられたのも先生です。どうか多くの方々がこの重要な展覧会にご来訪下さるようにお願い申し上げます(なお、入場料は両会場とも無料で、駐車場も完備されております。)