「青年教育と禅修行」2016年6月【No.156】

最近、来年僧堂に掛搭する予定の青年が、僧堂生活に資することもあろうかと思って拙寺の坐禅会に参加してきたので、これも何かの因縁かと思い、彼に週一度ほど、江戸時代の名僧方が雛僧の心得を説き示された『雛僧要訓』や『論語』などを一緒に読みながら、小衲も再度勉強し直しております。
もとより彼にはお父上が本師としておられるわけですから、小衲のお弟子ではありませんが、これも宗門興隆のための一助となればと思い、当方に迷惑をかけてはと遠慮されるのを、「よろしければどうぞご遠慮なく」と申して行っている次第です。

そうこうしているうちに、これも奇縁というのでしょうか、特別休学制度を活用して禅寺での生活を体験したいという大学生の若者が拙寺にしばらくの間寄宿することになりました。報道されましたのでご存知のお方もあろうかと思いますが、東京の最難関大学が本年より設けた制度で、新入生が学費を払わずに休学できて、しかもその間に受験勉強では体験できないような色んな活動をすることによって、かえってその後の大学生活や自分の人生にとって有意義になるような貴重な体験をするというのが、主眼だそうです。海外の大学ではすでにそのような制度が設けられているようですが、彼の大学では実際の希望者は今のところ少ないそうです。それを思い切ってそのような英断をした彼の決意のほどを称賛したいと思います。

ちょうど臨済禅師と白隠禅師の遠諱記念の禅の特別展が京都国立博物館で開かれていましたので、先ずは二人を連れてその特別展に行って名僧方の気高い行履(あんり)について色々と話を致しました。これほどの特別展はなかなか見られないものですので、二人にとっては非常に良い経験になったかと思います。それ以後、二人一緒に勉強する機会をもつことになりました

拝読しております『雛僧要訓』は出家した雛僧のためのものではありますが、一般の青年にとりましてもまた意義深い教えが多々散見されます。例えば、「師匠のお供をしてよそに出向く時は、師匠のそばを離れることなく、万事に付けて心を配らなければならない。長旅の際には自分がお手洗いに行くなら茶店などで休憩中に行くべきで、普段は師匠のそばを勝手に離れてはいけない」と、師匠に孝養を尽くすことが色々と説かれておりますが、家庭や学校では教えることのないこうした人生の心得は、前途洋々たる若者たちにとっては、とても大切なことではないかと思います。

また、「万事に不足のないのは雛僧の身にとって大毒であると思い、ただただ仏道修行に志を励まなければならない。昔から高僧と称賛される人は多くは貧寺の弟子であった人が多い。というのもそれはひとえに不自由を忍んで自ずからその身に徳を身につけ、その上に苦行困学したからであることを知らなければならない」という一段では、「忍の徳たること、持戒苦行も及ぶこと能わざるところなり」という『仏遺教経』の有名な一節を引いて、小衲の存じ上げている或る高徳の老僧が若い頃に師匠の厳しい仕打ちに堪えながら孝養を貫かれたという実話などを話すと、若い二人は真剣に聞き入っておりました。

『論語』の勉強に際しましても、孔子の「温良恭倹譲」(おだやかで、すなおで、うやうやしくて、つつましくて、へりくだりであられる)の風格や、郷党篇にある「孔子、郷党において恂恂如(じゅんじゅんじょ)たり。言うこと能わざる者に似たり」(孔子は郷里では恭順なありさまで、ものも言えない人のようであった)という記述に、近江聖人と称(たた)えられた中江藤樹は、「夫子、徳光の影迹(えいせき)」を認められ、非常に感動された、という話をしたことです。

何しろ若い二人に話しておきたいことはそれこそ山ほど材料がありますので、あっというまに時間が過ぎてしまいます。そしてその時間は小衲にとってもまた非常に充実した楽しい時間です。しかし講説だけでは不充分です。作務をしながら、薬石(夕飯)の支度をしながら、「これが『雛僧要訓』の実践だ」といいつつ、色々と二人に注意を与えますが、素直で道心のある二人は一向に嫌がる気配を見せずに心を尽くして頑張ってくれます。

そうした若者たちがいることは嬉しいことです。こういう人たちがますます増えて育っていくことを願わずにはおれません。光雲寺では禅寺の生活をしながら大学に通う学生さんを募っております。我と思わん方や、お知り合いのある方がおられましたら、どうぞご連絡をお待ちしております。合掌。