「人人具足、箇箇円成」(月刊コラム【No.89】2010年11月)

光雲寺では毎月二回の月例坐禅会(ただし今年の11月は14日の第二日曜日のみ)と毎週の土曜夜坐禅以外にも、「南禅寺禅センター」という看板を掲げて、大本山南禅寺との連携のもと、多くの人々の坐禅研修を受け容れている。多い月には二千人以上の人が来ることもあり、来訪者の中には、最先端医学研究者の集団なども稀ではない。また坐禅研修を通じて地方の若者たちのお見合いを企画するという斬新な試みをしたグループもある。

その中でも、最近経験した七人の青年たちの坐禅研修は、長年にわたり坐禅希望者に接してきた小衲にとっても、初めての異色な体験となった。少人数の参加者の場合には弟子たちに任すのが普通なのであるが、その時には巡り合わせで小衲が指導することになっていた。

彼らと出会った弟子のひとりは、「頭の髪の毛を茶髪にして、どうもバンドなどをやっているグループのように見えますが、どうされますか」と尋ねた。茶髪おおいに結構、もとより異論のあろうはずがない。ということで、仏殿での坐禅指導の段になったわけであるが、どうも音楽のバンドをやっているような雰囲気の青年たちではない。そこで職業を尋ねると、即答するという風ではなかったが、ひとりが「ホストです」と応じた。

ホストという職業は女性のお酒と話しの相手をするのが仕事と聞いている。以前に偶然見たテレビの番組で、ナンバーワンの座を得るべく、体調の不調を無理をしてアルコールを飲んで、それこそ自分の命を削って勤務している青年のことが採り上げられていた。一見華やかな職業のように見えるが、実際はいろいろと心の安らぎを必要とするような過酷な現実に直面しているであろうことは、想像に難くない。

さて、こうして坐禅を始めて見ると、みんななかなか真剣に坐るではないか。線香一本の時間の坐禅が終わり、抽解と呼ばれる小休止があるが、彼らのうち誰ひとりとして脚を解くことなく、そのまま微動だにせずに熱心に坐り続けている。十五年以上続いている月例坐禅会ではこうしたことは普通ではあるが、初めての坐禅研修グループが、全員組んだ脚を解かなかったという例は経験したことがない。以前、東大生がハーバード大の学生を連れて三十人ほどでやって来たことがあるが、その時よりも真剣である。これには一驚せざるを得なかった。

法話の時間が始まると、これまたこちらを見すえてうなずきながら、実に真剣に聴いている。小衲は、「皆さんたちは女性を相手にするお仕事をしておられると思いますが、私のところへも大勢の女性たちが坐禅や相談に見えられたりします。その場合には、打算など考えずに、本当に親身になってその人のためにお話をし、アドヴァイスをします。そうすると、どの人も例外なく明るくなり笑顔になって帰って行かれます。どうせなら人を幸せにし、楽しくさせる仕事をしませんか。皆さんたちもきっと真心から対応してあげられれば、お客の女性たちだけではなく、自分自身が楽しくなってくるはずです」という内容の話をした。

法話のあとで特別に、東福門院の念持仏の聖観音像を開帳して見せてあげたが、全員感激した面持ちで下山していった。当方もまた、なんともいえぬ一陣の薫風を経験したような心地良さを感じた。人は職業などで偏見を持ってはならないという教訓を得た思いがする。まことに、「人人具足、箇箇円成」(にんにんぐそく、ここえんじょう)(どの人も例外なく仏心仏性を具えて円満成就した身である)ということを実感した一日であった。

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