「作務の法悦」(月刊コラム【No.85】2010年6月)
春寒の季節も過ぎたというのに、今年は天候不順で先月末には最低気温が十度をわずか超えたくらいの日が続いた。さらに追い打ちをかけるように、雨の日が多く、畑の野菜の成長も芳しくない。農家の方々はさぞかし大変であろう。それでも雨のお蔭で、昨年植えたばかりの前庭のスギゴケが一面に芽を吹いて新緑の鮮やかな色を見せ、泥ざらえをし敷石を入れて改修した池の水が雨水で浄化され、錦鯉が気持ちよさそうに泳いでいる様は、見る人の心を和ませてくれる悦ばしい光景である。
この時期にぜひともやらねばならぬ、庭の十数本ある松のみどり摘(つ)みは雨で中断しながらもようやく終了したが、今度は墓地・前庭・中庭・畑の草引きが立て続けに待ち構えている。まことに中国唐代の名僧・百丈懐海(えかい)禅師が言われたように、「一日作(な)さざれば一日食らわず」の実践がなければ、清浄の伽藍を維持するお寺の生活はやって行けるものではない。しかし、みどり摘みにせよ草引きにせよ、一心不乱に打ち込んでやっていると、朝のお粥の知らせで中断するのが惜しいほどに楽しくなってくるから妙である。
松のみどり摘みや古葉摘みは松の一番高い部分からやっていくのが常識である。でなければ、上から落としたものが下の枝に引っかかるので、下を先にしていると今一度振るい落とすという余計な手間がかかるからである。光雲寺では一本の松を六、七人ほどでやるのであるが、いつも頂上の危険な箇所での仕事は住職である小衲の役目で、弟子たちや他の者には決してさせることはない。それは少しでも気を抜くと命にかかわる危険な作業であるからである。
知り合いの中には「そんな危険なことを住職がするなどもってのほかで、庭師さんに任せればよい」と忠告をしてくれる人もあるが、庭師さんにはまた別に、専門家でなければできない箇所をやって頂いており、我々は自分たちでもでき、手間もかかる松をするのである。実は三年前にこの光雲寺に住職として入山してしばらくは、経費節約のためにほとんどの庭仕事を自分たちでやっていたのであるが、京都市指定の名勝庭園を修復するに際して、京都市や専門家の先生からの推薦を受けたすぐれた庭師さんの仕事ぶりを見てからというもの、やはりその道のプロにやってもらった方がよいと反省したのである。
専門の庭師さんに教わりつつ一緒にするというのが、一番の理想であるが、この光雲寺は「南禅寺禅センター」として多くの人々の坐禅研修を受け容れており、多い月には1700人を超えることがあるので、多忙のためなかなか毎回理想通りには行かないことが少し残念である。
さて、こうして松のみどり摘みを済ましたある朝、仕事に来られた庭師さんに、「みどり摘みをしていると朝ご飯の知らせが残念で、あとせめて一時間でも続行したいという気持ちになります」と苦笑しながら話しかけると、その熟練した庭師さんは、「いや、そういうお気持ちだと危険が少なくなります」と真顔で応(こた)えてくれたので、なるほどと感じるところがあった。
或る造園業者のところに勤めていた若い庭師が光雲寺に先頃まで下宿していた。彼の仕事はほとんど休みももらえないほどの非常に過酷な日々が続くので、みんなで心配していたところ、高い木に登っていた職人で木から亡くなった者がその業者のところで二人出たということである。いくら仕事をあちこちから依頼されるからとは言え、労働基準法からは到底認められないほどの長時間を極端な低賃金で働かせるとは、従業員を取り替え可能な歯車のようにしか考えていない浅はかな会社であるという他はない。
食品業界でもそういう話はよく見聞するところである。不況であるからとはいえ、雇われている人を大切にしない会社は早晩衰退するのは目に見えている。利害得失に拘泥して一喜一憂していては心が乱れて足元がおろそかになる。法悦どころか不満が生じて我見が増長し、他人(ひと)のことを思いやる余裕もなくなり、充実した日々が送れなくなる。
禅寺での生活はそうではない。作務にせよ坐禅にせよ、衣食(えじき)のためにするのではなく、利害得失のみならず一切の雑念を放下(ほうげ)し成り切って楽しみながらするので、えもいえぬ法悦が醸成されてくるのである。
このことで思い起こすのは、妙心寺僧堂から鎌倉の建長寺僧堂に転錫して寸暇を惜しんで工夫三昧だったころの思い出である。あるとき雲衲三人で畑の畝作りをしたことがある。小衲は坐禅のみならず作務の最中もなるだけ公案工夫に心がけていたので、何をしても楽しい思いがした。その折りも畝作りを乗りに乗って一番手早くしたので、それを横で見ていた高単の先輩雲水が、「園さん(建長寺ではこう呼ばれた)、まるで百姓の子みたいだな」と思わずいってくれたが、その言葉を聞いて、嬉しかったこと嬉しかったこと。田舎とは無縁の都会(大阪)育ちで不器用な小衲がそのように見られたことが、忘れることのできぬ嬉しい思い出として心に焼きついているのである。
小衲は西洋の哲学を専攻していたが、「画餅、飢えを充たさず」という如く、単なる理論的詮索に飽きたらず、足実地を踏む実参実究の道である禅の修行をするべく出家した。この道に入ることがなければ、かかる法悦を経験することは非常に難しかったであろう。今の青年たちも禅修行がもたらすこの法悦の醍醐味を味わい尽くして、充実した楽しい人生を送って頂きたいものである。