「対大己法」2013年3月【No.117】
小衲がまだ出家する以前、京都近郊の長岡禅塾という学生禅道場で修行中、森本省念老師から提唱の際に道元禅師の「対大己法」について伺ったことを折に触れて思い出すことがある。
「大己」というのは自分よりも先達であり、徳の勝れた人のことであり、修行期間である法臘(ほうろう)が高い人の尊称である。道元禅師には「対大己五夏闍梨法」一巻があり、大己とは法臘五夏の僧を指すものとも考えられる。実際、そこには、
- 大己の房に入る場合には、門の端から入るべきである。門の中央から入ってはならない。
- 大己に対する場合には、必ず身を正し、不動の姿勢をとるべきである。
- 大己がまだ坐らないうちに、先に坐ってはならない。
- 大己がまだ席を立たないうちに、先に立ってはならない。
- 大己がまだ食べないうちに、先に食べてはならない。
- 大己がまだ食べ終わらないうちに、先に食べ終わってはならない。
- 大己がまだ入浴しないうちに、先に入浴してはならない。
- 大己がまだ眠らないうちに、先に眠ってはならない。
しかし森本老師が熱を込めて話され、小衲が忘れがたい印象をもったのは、「初夏にも大己を見、極果にも大己を見る」という如く、初心者(初夏)には勿論のこと、法臘の高い者にも更に大己があり、至極の仏果に達した者でもなお大己があるということである。道元禅師はこの間の消息を、「大己を見ること窮尽(ぐうじん)有ること無し」と言っておられる。
禅ではそれをまた「釈迦も達磨も修行中」という。大悟徹底された仏祖ですら、まだ修行の真最中であるというのである。小衲は修行中に名僧の行履(あんり)のうちに、このことを幾度となく見て取る思いがした。
たとえば建仁寺僧堂で修行をしていたとき、当時八六歳の竹田益州老師が管長職に就かれており、その隠侍をさせて頂いたことがある。隠侍の役目が終る最後の日に、老師に「本日が最後ですから、どうぞ按摩をさせて頂きとう存じます」とお頼みして按摩をさせて頂いたのであるが、五分か十分で、「ああ極楽です。もう結構です、結構です」と言われて、按摩をさせてくださらない。管長様のような高徳なお方ですら、なお徳を損うことを畏れておられることを痛感して、この道の厳粛さに身の引きしまる思いがしたことがある。竹田益州老師がお風呂に入られる際にも、いつもご自分の着物を上段を空けて中段に置かれたのも、同様のお心持ちからであろう
またこの竹田益州老師が尊敬しておられた森本老師は、小衲がまだ大学院の学生時代にご依頼を受けて本屋から書籍を受け取りお渡ししたところ、「恐れ入ります」とお礼をおっしゃったので、こちらが恐れ入ってしまった鮮烈な思い出がある。当時森本老師は小衲よりもちょうど六十歳の年長で、高徳の禅僧として江湖の尊敬を受けておられた方である。いくら修行しても自らを誇るような気持ちなど微塵もなく謙虚であるというのが、本物の証拠であろう。
話は変わるが、小衲の弟子が僧堂での満六年の修行後にひと月の暫暇を頂いて自坊に戻って来た。新到の頃よりは見違えるようにどっしりとした落ち着きができてきたように見えるが、細部に至ってはまだまだ到らぬところが多々あり、小衲が色々と指摘すると、本人も「まだまだ抜かりが多いな」とひとり感慨を洩らしている。しかしものは考えようで、到らぬところが多いというのはまだまだ向上の余地があるということである。
わが弟子が更に向上して立派な禅僧と成るのが楽しみである。皆様方も、わが身に到らぬところがあれば、卑下したり自信を失ったりせずに、どうか「自分にはますます向上の余地があるんだ」という楽しみを持って頂きたいものである。