「岩に松さえ生えるじゃないか」2022年07月【No.228】

先日早朝の掃除の際に、角の全くないすべすべの卵大の石を見つけました。毎日掃除しているのにそのとき初めて気がついたのが不思議な気がします。あまりに見事な石なので、自分の部屋に持って帰って、それ以来、机の上に飾っております。恐らく、最初はごつごつしていた小岩が川の流れにもまれ、別の石などにぶつかるうちに、いつのまにやら角が取れてかくもすべすべになったものでしょう。そうなるまでには一体どのくらいの歳月がかかっているでしょうか。この石を見て、思い起こしたのは名古屋徳源寺僧堂の鄮峰(もうほう)禅師(1846―1888)のことです。

 禅師は初代妙心寺派管長を勤められた徳源寺僧堂の鰲巓道契(ごうてんどうかい)禅師のもとで、初関である「無字の公案」に参じたのですが、何年経っても許されませんでした。揚げ句の果てに、「自分にはお悟りを開いて初関が許される素質がないのであろう」と、得度を受けた受業寺(じゅごうじ)へ戻ることを決意して、僧堂を下山しました。故郷も目前の浜名湖近くの渡し舟に乗って聴くともなしに船頭が口ずさむ歌を聴いていました。「岩に松さえ生えるじゃないか、添うて添われぬことはない」という一節を聴いて、にわかに修行途中で挫折しようとしていたわが身を反省し、向こう岸に着くやいなや船をとって返して、一目散に徳源寺への道を目指して道を急ぎました。

 おそらくこうした道中でも無字の公案が頭から離れず、いつのまいにやら三昧境に入っておられたものと思われます。工夫三昧に入ると廻りのものが見えなくなるものですが、突然田んぼの中に落ちてしまった禅師は、忽然(こつねん)として大悟しました。これまでの疑団がことごとく消え去り、大歓喜に満たされ、帰山するや鰲巓禅師の室内に入り、またたくまに公案の調べを終えられ、その法を嗣がれることになったということです。

 鄮峰禅師が見性(けんしょう)(悟り)の眼(まなこ)を開かれたのは、鰲巓禅師が初関を安易に許可しなかったがためです。簡単に透過していたならば、悟りを開かれることはなかったでありましょう。
岩に松さえ生えることがあり、ごつごつの岩が長年の絶え間ない研鑽によって丸くなることもできるのです。無字の公案によって工夫三昧になかなか没入できないと思っておられる禅修行の人たちは、鄮峰禅師の尊い例を思い起こして、工夫に邁進して頂きたいものです。

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