「揮毫の秘訣」2021年10月【No.219】

コロナウイルス感染の第5波は、原因は定かではありませんが、急速に下火になりつつあります。しかしこれで油断して気を抜くと、またまた感染の急拡大を招くというのは、これまで私たちの経験したところです。緊急事態宣言などが解除されても、決して気を抜かずに、感染予防の基本を怠りなくやっていきたいものです。宣言中は休止していた月例坐禅会や毎土曜の夜坐禅は、1日から再開いたします。「南禅寺禅センター」としての坐禅研修や拝観なども、これから次第に増えて行くものと思われます。拙寺にご来訪の際には、これまで通りマスク着用をお願い申し上げます。

 さて最近は立場上墨蹟の揮毫(きごう)を依頼されることが多くなり、緊急事態宣言中は朱扇用の和紙や半切、茶掛の揮毫をたびたび行っておりました。沢山の揮毫をする場合、自動墨磨り機を使用しておられる方が多いと聞き及び、だいぶ以前に購入していたのですが、これまでは使っておりませんでした。このたび実際に一行物などを数多く書くに際して、以前に読んだ『想古録(近世人物逸話集)』(東洋文庫)にある頼春水の言葉を思い出し、今一度読んでみました。

 頼春水(1746−1816)は江戸時代中期から後期にかけての儒学者であり漢詩人です。その息子の頼山陽の名前は知っている人は多いと思いますが、春水の名を知る人は少ないのではないでしょうか。しかしなかなかの人物であったことは、その事歴を調べればよく分かります。寛政九年(1797)に松平定信が老中になると、友人であった、「寛政の三博士」と呼ばれた古賀精里、尾藤二洲、柴野栗山と一緒に働きかけて、朱子学を幕府の正学とすることに尽力し、また林家の私塾を官学化して昌平坂学問所としました。周知のように、この学問所がのちに東京大学となる源流のひとつとなります。

 その頼春水に或る人が、書を書く秘訣を尋ねたところ、春水は「書というものはそれを書いている人の性情の真相をあらわすものであるから、紙に対する前に、自分で墨を磨ってまずわが身の腹を練り、丹田(へそ下にある気力が集積する場所)が充実して気宇清浄なときに初めて筆を下すべきである。そうすると、その書の巧拙に関係なく、筆力が躍動して一種の気韻がおのずからそこに生ずるものである。私の揮毫の秘訣はただこれに尽きる、これ以外にはない」と答えたと伝えられております。さすがに優れた見識をもっておられると感心し、早速春水の書を二幅ばかり購入して実物を拝見するに及び、なるほど気韻のある書だと納得した次第です。

 それ以来、たとえ一行物をなどを揮毫する場合でも、墨磨り機を使うことなく、また隠侍さんに頼まずに、自分でゆったりとした気持ちで墨を磨ってから、書を書くようにしております。皆さん方もたまには墨をゆったりとした気分で磨って書を書かれたら、格好の気分転換になりますので、お勧め申し上げます。

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