「晋山式の御礼」2022年05月【No.226】

去る4月6日(水)に私の南禅寺における晋山開堂が執り行われました。当日はコロナ感染がまだまだ収束を見ない中で行われた関係上、列席される方々の数を当初の予定より半減して行われました。特に白槌(びゅくつい)師を務めて頂いた建仁寺管長猊下以外の各派管長様方には、万が一のことを考え、ご遠慮頂くことを準備委員会の方々が決定致しました。晋山開堂は或る意味ではお披露目の機会なのですから、なるだけ多くの方々に来て頂くのが本当なのでしょうが、コロナのため致し方のないことでした。4月3日に行われた黄檗宗開山隠元禅師350年大遠諱も、各派管長を呼ばずに内輪だけでされたということです。

 それでも、おりしも桜が満開の時節、晋山開堂に参列して頂いた出家・在家の方々には厚く御礼申し上げます。また有縁の方々、大学時代の先輩の先生方や夜坐禅にご参加の方、またご近所の方々など、法堂(はっとう)の外から今回の儀式を観に来て頂いた数多くの方々にも深く感謝申し上げます。

「晋山」とは、通常はそのお寺の住職になる儀式ですが、大本山南禅寺の場合は管長になる儀式で、「開堂」は正式には「視篆(してん)開堂」と申します。本山の住職となりますと、寺印(篆文で書かれた印)を受け取って視ることができることから、「視篆」という言葉が生まれたものです。多くの場合、晋山と開堂とは別々に行われることが多いようです。先に開堂を済ませた方が、管長に推挙されて晋山式を行うのが通常ですが、私の場合は、再三の懇請(こんしょう)を受けて管長職を引き受けた関係上、両方の式を同時に行うことになったわけです。

 こうした式を行う場合には、「習礼(しゅうらい)」と呼ばれる作法の習練を何度も行うことが必要となります。それぞれの役についておられる尊宿方(和尚方)や部員さん達も、自分の役分の進退作法を予習して身につけるわけです。今回は本山での習礼は6度ほど致しましたが、何分にも儀式の主人公である私が作法を完璧に習得しなければなりません。須弥壇(しゅみだん)を備えた光雲寺でも世話係の隠侍さんと共に5回ほど習礼を致しました。晋山開堂に際しては、自分で作成した漢文の長い法語を空で覚えて音吐朗々と唱えなくてはなりません。かなり広い法堂の中でマイクなしに参列者の方々に聞こえるように唱えるには、やはり習練が必要です。個人的に法語を何度となく声を出して唱え、ぬかりなく丸暗記するように勉めました。今回の経験から分かりましたことは、当初は長文の法語を空で覚えることは到底無理だと思っていたのですが、実際やってみると、思いのほか記憶できるものだということが分かりました。

 当日は9時50分に安下所(あんげしょ)と呼ばれる控え所である「南禅会館」を、引率の奉行和尚や数名の和尚と共に拄杖(しゅじょう)を突きながらゆっくりとした足取りで出発します。まず藤堂高虎公が大阪夏の陣に倒れた家来の菩提を弔うために寛永5年(1628)に再建された重文の三門のところで偈(げ)を唱え、それから直進して独秀流ご詠歌の方々の「晋山御和讃」の妙(たえ)なる奉詠(ほうえい)が聞こえる中、法堂(はっとう)の正面から入堂します。このご詠歌にとても感激しておられた方もいたようです。

 入堂して後門の方に向かった後、奉行が先導して両班と共に出頭し、須弥壇を背にした上間の曲録(椅子)前に立ち、香を炊いて「山門疏」に対する偈を唱えます。山門疏が低声に詠まれた後、「拈衣の儀」があり、法衣を香を炊いて薫(くん)じて左肩に打ち掛け、後門に戻ります。そこで九条袈裟を脱いで伝法衣を掛け、入堂し両班と参列の方々に対して最も鄭重な敬礼である普同問訊(ふどう
もんじん)を致します。それから「登座の語」を唱えてから須弥壇を登階するのですが、その際に沓(くつ)を大きく踏み鳴らしながら登るのに感激された方もあったと聞いております。
 
 登壇してから大辨香を拈じて「祝聖」(しゅくしん)を唱え、今上天皇の聖寿無窮(むきゅう)をお祈り致します。私の場合は、中国の伝説的な二人の聖天子である尭・舜(ぎょう・しゅん)のような高徳をさらに育てていかれんことを念じた次第です。そのあとの「嗣法の香」を相国寺止々庵宗忍老大師に、報恩の香を長岡禅塾第二代の孝慈室省念老大師に薫じました。

 それから「釣語」(ちょうご)を述べてから、問禅が始まります。この役目をお願いしたのは、私の最初の弟子で相国寺派の住職をしている若手の和尚です。
習礼の当初は、「もう少し迫力のある問答ができないのか」と注意していたのですが、習礼を重ねるごとに次第に力強い声になり、当日は多くの人たちが感嘆したほどの迫力ある問禅をおこなってくれました。彼自身にとってもとても良い経験になったかと思います。

 そのあとで禅の宗旨を挙揚(こよう)する「提綱」に続いて、「自叙」でわが身のことを述べます。この場合、伝統的に自分の至らなさに言及することになっており、私は「徳もなく、たいした修行もしておらず、まるで役立たずの身である。にもかかわらず、みだりに有名な本山の管長になり、恥じ入るばかりである」という趣旨の法語を唱えました。

 そののち白槌をお願いした建仁寺管長猊下に衷心より謝意を表し、続いて晋山開堂で諸役について尽力して頂いた和尚方や、参列者の方々に謝意を述べてから、最後に古則公案の「拈提」をもって終わります。私は永明(えいみょう)の寿禅師の大悟の因縁について自らの思うところを率直に吐露いたしました。

 最後に須弥壇から降りて後に、「伏して惟(おもん)みれば、久立珍重(きゅうりゅうちんちょう)」と述べて問訊低頭してから、総監である宗務総長さんのご挨拶ののちに退堂となりました。何分にもコロナ感染が収まっていない状況下のこととて、御膳を出してご接待する出斎をおこなわず、お弁当の持ち帰りということになりました。

 当日は何かと不行き届きなところもあったかと存じますが、大過なく晋山開堂を終えることができ、皆様方に厚くお礼申し上げます。

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