「未在、未在」2020年11月【No.208】

禅寺の生活では住職が率先垂範して作務などをすることが通例となっています。この光雲寺でも例に漏れず、私が一番最初に4時半に起きて粥座(朝食)の準備をしております。それは朝一番の典座(台所)の状況を見ただけで、他の者の仕事の結果が即座に分かるのと同時に、粥座の準備をしながら、わが身の落ち度が果たしてないかどうかを点検するという意味もあります。そして自分に抜かりがあった場合には、「こんな抜かりをするようでは、まだまだ駄目だ」と自戒することになります。

 粥座が終わってから通常は1時間半ばかり、掃き掃除や作務をするのですが、若い人たちには良く、掃き掃除のときには、「落ち葉が一枚も落ちていないように注意して掃除するように」、草引きの際には、「どんな小さな雑草も一本すら取りこぼしのないように」と再三注意します。

 ところが、このところ連日痛感するのは、いくらわが身で、「これで完璧に落ち葉を拾うことができた」と思い込んでいても、すぐさま戻って点検すると、あちこちに取り残した落ち葉が見つかるではありませんか。それが一度や二度ではありません。毎回そうしたことが続くのです。

 もしそれが他の者が掃いた後だとしたら、きっと「取り残しがあるぞ」と指摘し、「やっぱり彼は抜かりがあるな」と思ったことでしょう。実際、下宿生さんたちが掃いた後などを見たときに、そのように注意することが良くあるのです。ですが、自分でもこう連日取りこぼしが続くと、「自分もどうやら同じではないか。ひとのことを言えたものではないな」と反省せざるを得ません。

 修行生活は、自分では必死に努めていても、完璧にやり遂げることはなかなか困難なことです。「未在、未在」(まだまだ)です。しかし翻って考えれば、それは無限の向上の道があるということでしょう。
これからも若い人たちと一緒にわが身を引き締めて、連日掃き掃除や作務に励んで行きたいと思います。

 皆さん方もお寺に掃除、草引きなどの作務に来られませんか。身体を動かすのは健康にも良いですし、畑で採れた無農薬野菜などを食べる生活は楽しいものですよ。

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