「東福門院三百年御忌」(月刊コラム【No.96】2011年6月)

去る五月二十七日に光雲寺では午前十時から十二時迄の二時間に及ぶ、住職の晋山式、東福門院三百年御忌(ぎょき)、諸堂落慶式を併せて執り行った。当日は一日中雨の予報で気がかりであったが、法要後の記念撮影と出膳の際には、ありがたいことに雨が上がり、かえって雨に打たれた庭の緑が映(は)えて鮮やかであった。

東福門院の御忌は、前回が文政十年(1827)の百五十年御忌であるから、実に百八十三年振りのことである。三十三年のずれがあるが、このことをも含めて、今回の式を挙行した経緯をご理解頂くには、住職が出斎(昼食)の前に、法類和尚方や檀家総代方と共に低頭して、参列者の方々に対して申し上げたご挨拶をご覧頂くのが一番であろうと思う。住職のご挨拶は以下の通りである。

「ひとことご挨拶を申しあげます。ご低頭には及びません、どうぞお直り下さい。本日は法務御多端の砌、また足元のお悪い中、南禅寺管長猊下・相国寺管長猊下・国泰寺管長猊下・建仁寺管長猊下・東福寺管長猊下・円覚寺管長猊下・瑞龍寺僧堂老大師・南禅寺僧堂老大師・相国寺僧堂老大師、内局・山内・近末・法縁のご老宿方に置かれましては、晋山式・東福門院御忌・諸堂落慶式にご随喜・ご影嚮賜りまして、まことに有難うございました。また過分なる賀儀・香資・お供え等頂戴致しまして、重ねて厚く御礼申し上げます。

また檀信徒の皆様方・坐禅会・法縁の皆様方には、ご多用中のところご参列頂き、まことに有難うございます。とりわけ徳川宗家ご夫妻には、東福門院三百年御忌ということで、遠路はるばる東京よりお越し頂いてご臨席賜りました。厚く御礼を申し上げます。

未熟者、山内の南陽院様の徒弟として平成十八年の七月にこの光雲寺に入寺致しました。当時執事として光雲寺を看護しておられた九州久留米円通寺の吉富師より引き継ぎを致しました折りに、『中興の英中禅師の三百年遠諱は済ませました。次は東福門院の三百年御忌ですね』と申し送りを受けました。光雲寺は三百四十年ほど前に、徳川秀忠公とお江様のご息女で後水尾天皇の中宮となられた東福門院様が、摂津の国天王寺にあった光雲寺を、秀忠公のご遺金を使われてご自身の菩提寺として再興された寺院でございます。

本年は実は崩御されてから三百三十三年になりますが、光雲寺が三十年前に三百年御忌を行なったという記録は残っておりません。以来、三百年御忌に向けまして境内整備を行なってまいりました。とりわけ阪神大震災の惨状を目の当たりにした経験から、耐震補強に力を入れまして、地震対策のために寮舎や隠寮も新築した次第でございます。

まだ庫裡の抜本的耐震改修は残しておりますものの、東福門院三百年御忌を行うに際しまして、ひとまず諸堂落慶式をも併せて執り行うことに致しました。この間、実に多くの皆様方のひとかたならぬお力添えを賜りまして補強も無事に終わり、ここに落慶式を迎えることができました。お力添えを頂いた方々には、この場を借りまして心より御礼申し上げます。

そこで香南軒管長猊下に御忌と落慶式の導師をお願いに参上しましたところ、『光雲寺さんは仮入寺式しかしていないではないか、この際、晋山式も併せて行なったらどうか』という御垂示を承けまして、法類の和尚様方ともご相談の上、新住持としての晋山式も同時に執り行うことと相成りました。

本日は皆様方のお力添えを得ましてここに晋山式・御忌・落慶式を無事円成(えんじょう)することができました。厚く御礼申し上げます」

口上は以上の通りである。これが今回の東福門院三百年御忌が執り行われた経緯である。本来ならばお声をかけて参列して頂くべきさらに多くの方々がおられるのであるが、何分にも会場である光雲寺の規模の上からも、百十人以内の方々に限定せざるを得なかった。参列して頂けなかった法縁の皆様方にはお詫びを申し上げます。

またこの機会に、光雲寺所蔵の東福門院と中興の英中禅師ゆかりの什物を写真と共に『東福門院と光雲寺』と題する本に収めた。秋の紅葉の時節にはまた特別拝観を予定しているので、ご希望の方はその際に購入可能である。

何はともあれ、今回多くの皆様方のお力添えにより、無事に晋山式・御忌・落慶式を行えましたことを、心より御礼申し上げます。

寛洲 合掌

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