「東福門院念持仏」(月刊コラム【No.90】2010年12月)
10月のコラムで申し上げたように、光雲寺では12月5日まで京都市指定名勝庭園の修復記念の特別公開をしている。また次のNHK大河ドラマの主人公が光雲寺を菩提寺として再興された東福門院の御母堂に当たられる「お江様」であることから、来年1月8日から3月21日まで「京の冬の旅」の特別公開が予定されている。
そこでこの際に、東福門院が日夜線香と花を手向けておられたという念持仏の聖観音像厨子裏の朱書き文を読み下して現代語訳した次第である。読みが不確かで、意味のとりにくいところもあるが、ひとまずこれをもって今月のコラムにかえさせて頂きたいと思う。もしお気づきの点があれば、ご指摘を賜れば幸いである。
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靈芝山安國光雲禪寺觀音大士記
慈悲以抜苦、喜捨以與樂、上同諸佛妙覺、下合衆生悲仰、其唯阿那婆婁吉低輪耶、故無華無裔凡流乎、眞教之域莫不恭敬于此尊焉、
吾師幼而信之、素患頭疼、明暦丁酉偶駐錫於武陵、時三十一歳、一夕夢詣一寶殿、宏壯嚴麗金碧燦爛而觀音大士儼然坐、師至心頂禮自覺氣血流暢、徹骨清涼、其慶快不可言也、迨醒宿恙頓愈、宛如雲霧忽散、尒後無此患、寛文甲辰奉
東福門院命營建於光雲禪刹殿堂像設、漸次成褫矣、領衆匤徒、講大雄之古規、挑大明法燈、於是
門院寄大悲像一軀 坐像左手持蓮、長六寸五分 以鎭山門、師迎拜瞻之、即是昔日所夢大士也、其相其好毫釐無差、不任感嘆處安于道場焉、原此尊像者、名工運慶之雕刻而妙容端嚴威靈勝絶也
門院恒備香華務伸供養、寛文元年春正月、瓊宮有鬱攸之變
門院親奉保護此像於御輿裏、以逃其厄、誠心至切亦如此矣、而今赴吾師之感光賁于此寺、可謂千載之奇遇也、蓋光雲者大士之微妙光明臺而
門院也吾師也同是大悲之所變者歟、傍有客云盛哉子之言、其旨可得而聞乎、曰夫大士之靈感如月之印於千江普應群有機、能以同事攝也
門院乃女中菩薩吾師乃僧中大士、所謂上同諸佛妙覺下合衆生悲仰者也、大士妙應、豈止三十二種云乎、達磨誌公總是觀音、乃至水鳥樹林草芥人畜悉是圓通三昧帝網重重主伴無盡、汝以爲如何、客唯唯而退、因爲之記云、
今茲延寶第七己未六月十五日伏値
門院小祥御忌侍女某等奉其遺金使作此寶龕於是
本師英中和尚命某作此記因書龕陰諭于後來者也
光雲外史 玄秀 謹撰
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慈悲、以て苦を抜き、喜捨、以て楽を与え、上、諸仏の妙覚に同じうし、下、衆生の悲仰に合するは、其れ唯だ阿那婆婁吉低輪(あばろきてしゅばら)か。故に無華無裔の凡流、真教の域、此の尊を恭敬せざるということ莫し。
吾が師、幼くして之を信ず。素(もと)より頭疼(ずとう)を患う。明暦丁酉、偶(たまたま)錫を武陵に駐(とど)む、時に三十一歳なり。一夕、一宝殿に詣るを夢む。宏壮厳麗、金碧燦爛(さんらん)として、観音大士儼然として坐したもう。師、至心に頂礼して自ら気血の流暢(りゅうちょう)なるを覚え、骨に徹して清涼なり、其の慶快言うべからず。醒(さ)むるに迨(およ)んで宿恙(しゅくよう)の頓に愈(い)ゆること、宛(あた)かも雲霧の忽ち散ずるが如し。尒後(じご)此の患い無し。
寛文甲辰、東福門院を奉じて光雲禅刹に殿堂像設を営建することを命じ、漸次成褫(じょうち)す。衆を領じ徒を匤(ただ)して、大雄の古規を講じ、大明(だいみん)の法灯を挑(かか)ぐ。是(ここ)に於て
門院、大悲の像一軀(坐像、左手に蓮を持す、長きこと六寸五分)を寄せて、以て山門を鎭(しず)む。師、迎拝して之れを瞻(み)れば、即ち是れ昔日夢む所の大士なり。其の相、其の好(ごう)、毫釐(ごうり)も差無し。感嘆に任(た)えず、処を道場に安んず。原(たず)ぬるに、此の尊像は、名工・運慶の雕刻にして妙容端厳、威霊勝絶なり。
門院、恒に香華(こうげ)を備え、務めて供養を伸ぶ。寛文元年春正月、瓊宮(けいきゅう)、鬱攸(うつゆう)の変有り。門院、親しく此の像を御輿(みこし)の裏(うち)に保護し奉り、以て其の厄いを逃る。誠心至切なること、亦た此の如し。而今(いま)、吾が師の感に赴き、此の寺に光賁(こうふん)す。謂(いっ)つべし、千載の奇遇なりと。蓋(けだ)し光雲は大士の微妙光明台にして、門院也(ま)た吾が師也た同じく是れ大悲の変ずる所のものか。
傍らに客有りて云く、盛んなる哉(かな)、子の言、其の旨、得て聞くべきか。曰く、夫れ大士の霊感は月の千江に印するが如く、普く群有の機に応じ、能く同事を以て摂(たす)けるなり。
門院は乃ち女中の菩薩、吾が師は乃ち僧中の大士なり。所謂、上、諸仏の妙覚に同じうし、下、衆生の悲仰に合するものなり。大士の妙応、豈(あ)に三十二種に止まると云わんや。達磨・誌公、総に是れ観音なり、乃至水鳥樹林草芥人畜、悉く是れ円通三昧・帝網重重・主伴無尽、汝以て如何と為す。客、唯唯として退く。因て之の記を為して云く、
今茲(ことし)延宝第七己未六月十五日、伏して
門院小祥の御忌(ぎょき)に値(あ)い、侍女某等、其の遺金を奉じて此の宝龕(ほうがん)を作らしむ。是(ここ)に於て、
本師・英中和尚、某に命じて此の記を作り、龕陰に書するに因って後来を諭(さと)すものなり。
光雲外史 玄秀 謹撰
(註)
東福門院=慶長十二年(1607)ー延宝六年(1687)六月十五日崩御、世寿七十二歳。
英中玄賢=寛永四年(1627)ー元禄八年(1695)八月二十三日遷化、世寿六十九歳。
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東福門院念持仏厨子裏朱書文 訳文
慈悲をもって苦しみを抜き、喜捨をもって楽しみを与え、上は諸仏の妙なる覚りと同じで、下は迷える衆生の助けを求める悲痛な願いに応じるのが、観音菩薩というものであろうか。都と地方のいずれの一般民衆も、真の教えが広まった地域では、この尊い観音菩薩を謹み敬わないものはない。
私の師匠(光雲寺中興・英中玄賢禅師)は幼い頃から観音を信仰された。もともと頭痛の持病があったのだが、明暦三年(1657)、たまたま江戸のある修業道場に掛錫していたおり、ちょうど三十一歳のときであった。ある晩、ある仏殿にお参りした夢を見た。その仏殿は、壮麗で黄金と碧玉に飾られて燦爛として輝いており、その中にはご本尊の観音菩薩が厳然として坐しておられた。
私の師匠が、心を込めて五体投地の最敬礼をしたところ、気と血流の流れがよくなったのを感じ、身心の底から清涼な境地になられた。その心地よい悦びというものは言葉では表現できないほどであった。眼が覚めるにいたって、長年の持病が一挙に快癒したが、それはちょうど雲霧がたちまちのうちに消え去ってしまったようなものであった。それ以後は、師匠はこの頭痛を患うことはなくなった。
寛文四年(1644)、東福門院様がご自分の菩提寺として光雲寺を再興されるにあたり、仏殿などの諸堂や仏像などを造営することを私の師匠は命じて、次第に出来上がった。道場の規矩を定め、五十人の修行する雲水たちを導き、唐代の名僧百丈懐海禅師の作成された清規を提唱し、大明国師・無関普門禅師(南禅寺・光雲寺開山)の挙揚された仏法をかかげられた。ここにおいて、東福門院様は、大悲の菩薩である聖観音像一体(坐像、左手に蓮を持つ、六尺五寸の高さ)を寄進されて、光雲寺の安泰を祈願された。
私の師匠が恭しくこの観音像をお迎えして拝して見れば、まさにその昔、自分が夢の中で見たとおりの観音菩薩像であった。その容貌には、いささかの違いもなかった。非常に感激してこのお像を道場に安置した。聞くところによると、この尊い御像は名工・運慶の彫刻で、妙なる容姿に厳かな面持ちをされ、その霊験は格別にぬきんでている。
東福門院様は、女院御所において、いつもお香とお花を供えられ、心を込めてこの観音様を供養された。寛文元年(1661)、ある正月、美しい玉で飾られた御所が火災に遭遇したが、東福門院様は、自らこのお像を御輿のうちに保護され、火災の災いを逃れられた。東福門院様のこの観音像に対する至誠心の切なることは、ちょうどこの通りである。
そうして今、私の師匠に感応道交してこの光雲寺にこの観音像がやってこられた。これは、めったにありえないほどの思いがけない巡り会いであった。まさに光雲寺は観音菩薩の妙なる光明の台であり、東福門院様も私の師匠も、同じように観音菩薩の再来といえるのではないだろうか。
傍らに客がいて言うには、「あなたは非常に立派なことを言われるが、その真意を今しばらく詳しくお聞きしたく思います」と。そこで私が言った、「観音菩薩の霊感は、月が数限りない川面に映るように、あまねく色々な衆生の機根に応じて、同一のことをもって助けるものである。東福門院様こそは女性の中の観音菩薩、私の師匠こそは僧の中の観音菩薩であるといってよい。先に述べた、上は諸仏の妙なる覚りと同じで、下は迷える衆生の助けを求める悲痛な願いに応じるものにほかならない。
観音菩薩が衆生を済度する絶妙の対応は、一般に言われるように観音菩薩が衆生済度のために行う三十二応身にとどまる、というどころではあるまい。達磨大師や宝誌和尚(梁の武帝の側近、418ー514)も、いずれも観音菩薩の再来である。さらには、水鳥や草木や人間や動物にいたるまで、すべて円通三昧・帝網重重・主伴無尽である。あなたはこの私の説明を聞いてどう思われるか」。
客は納得して引き下がった。そこでこの顛末を記すものである。
今年、延宝七年(1679)六月十五日、東福門院様の小祥の御忌(一周忌)に遇い、侍女らが東福門院様の遺金をあてて、この観音菩薩の御厨子を作らせた。そこで、私の師匠の英中和尚は、私に命じてこの記を作り、御厨子の裏に書くことによって、後の世の人々に告げ知らせるものである。
光雲寺書記 玄秀 謹んで撰す
(註)
円通三昧=円通は仏菩薩の悟りの境界で性体周遍なるを円といい、妙用なるを通という。
帝網重重主伴無尽=帝釈天の、網羅座の珠と珠とが相映じて、互いに主となり伴となって限りのないのをいう。華厳の法界観の意。