「法縁仏縁」(月刊コラム【No.102】2011年12月)
光雲寺では京都市観光協会主催の秋の紅葉の特別拝観を12月4日まで行っているが、通常の土曜の夜坐禅(p.m.8:00-9:00)も光雲寺で休むことなく開いている。第二日曜日である11月27日の月例坐禅会は南禅寺山内の別の塔頭を拝借したのであるが、関東の方からも4人の方が見えて、なかなかの盛況であった。
在家でも専門の雲水顔負けの熱心な方々がおられる。小衲の拙い提唱を毎回涙を流して感激して聞き、「東京での生活の疲れが次第に癒されました」といって頂き、わずか二回の参加でお顔の相が実によくなられたご婦人がいる。また遠方ゆえ、二ヶ月に一度しか坐禅会に参加できないにもかかわらず、小衲が提唱で法身禅師の話をしたことにヒントを得て、工夫が大いに乗って思いがけぬ所得があったという大学教授の方もいる。
法身禅師の話とは、領主の下僕を務めていた真壁平四郎(まかべのへいしろう)が厳寒の折に領主の履物(はきもの)を懐に入れていたのを尻に敷いていたと誤解され、領主に眉間を割られたあげく、発憤して発心し、のち入宋して名僧・径山(きんざん)の無準師範禅師のもとで甲乙丙丁の「丁」の字の三昧工夫に没頭すること九年、尻が腐るまで坐り抜き、遂に大悟徹底して帰国し、北条時頼の懇請(こんしょう)を受けて円福寺(現在の松島の瑞巌寺)の開山となった経緯である。
かの教授からは「心身一如に透徹すべく、寝食を忘ずることをテーマに取り組んでおります」とメールがあった。坐禅会当日にご本人にお目にかかった折りに、「なかなか工夫が進んでおられるのは結構なことです。ですが、心身一如や寝食を忘ずることは、それを目標やテーマにすべきことではありません。間断無き工夫で乗りに乗って法悦のただ中で無意識のうちに工夫するようになれば、いつの間にやらそういう境地に到達します。それを目指せばかえって意識分別が妨げとなって、到達は不可能となります。肝心なのは四六時中、むー、むーと鈍工夫することです」と申し上げたところ、その教授は実にいい顔で破顔微笑の反応をされた。
最近は専門道場で修行する雲水も道心のある者が少なくなって、師匠の方も1年でも早く弟子を道場から自坊に退(ひ)かそうとするという嘆きを、僧堂の老師方から聞かされることが多い。それに比べれば、多忙な日常生活の貴重な時間を割いて坐禅に通う人たちに熱心な方々がいるのも当然のことかも知れない。こうした人たちを相手に坐禅会を継続できるのは有難いことである。ただ専門道場の雲衲方にも自分たちのおかれている状況が恵まれていることをもっと自覚して奮闘工夫して頂きたいものである。