「畢竟じて何の用ぞ」2017年4月【No.166】
お彼岸も終わり、ようやく春めいた時節になって参りました。桜の花もぼちぼち開花して春の訪れを告げております。これから京都の南禅寺・「哲学の道」界隈はますます人出が多くなります。春はまた入学のシーズンでもあります。この光雲寺で一緒に仏道を学んだ青年たちのことを以前のコラムで申し上げましたが、一人は大学での勉学に、一人は禅修行のために専門道場にと、新たな門出を迎えました。二人の好青年の前途に幸多からんことを祈らずにはおれません。
二人とは、『論語』以外に、日本曹洞宗開祖の道元禅師(1200−1253)の『正法眼蔵随問記』を拝読致しました。この著作は法を嗣がれた懐奘(えじょう)禅師(1198−1280)による道元禅師の説示の聞き書きです。道元禅師というお方がいかに真剣に仏道に精進されたかということが一番良く分かるのが、あたかも禅師の肉声を聴く思いのするこの『随問記』だろうと思います。禅や仏道に関心のある人たちにとって、この書は必読であると言っても過言ではなく、この書を知らないままで過ごすのはまことに残念でもったいないことです。
その中に記されていることですが、禅師が在宋のとき、禅の道場で古人の語録を拝読されていたときのこと、四川省出身の道心のある僧が、「語録を見るのは一体何のためだ」と尋ねたので、禅師が「古人の行履(あんり)を知るためです」と答えると、「何のためだ」と問うたので、「郷里に帰ってから人々を教化するためです」と答えると、「それが一体何の役に立つのか」と重ねて問いただしたので、「衆生済度のためです」と応じたところ、「畢竟じて何の用ぞ(それが結局何になるというのか)」と問い詰められたので、さすがの禅師も反省するところがあり、それ以降は語録などを見ることをやめて、坐禅三昧に精進して大悟徹底し、仏法の大事を明らかにすることができた(「其後、語録等を見る事をとどめて、一向に打坐して大事を明らめ得たり」)と述懐しておられます。
現在も禅の専門道場である僧堂に掛搭する際には、必要最小限の書物以外は持参を禁じられております。語録を拝読して古人の行履(修行歴)を知るのは僧堂掛搭以前にやっておくべきことです。古人の行履を知ることは、自分自身の修行の発憤材料になりますので、小衲も出家する前の三年間を過ごした長岡禅塾では大学院には週に数度行く程度で、あとはなるだけ坐禅をし、その外に古人の行履を色々と勉強をしました。
ところが或るとき、森本省念老師のお世話をしておられた庵主さんから、「閑栖(かんせい、隠居)さんが、田中君は夢窓国師の遺誡を知っているのかなと言っておられた」と承ったのです。その頃には隠居しておられた森本老師は、「閑栖さん」と呼ばれていました。「夢窓国師遺誡」は温厚そうな風格の国師からは想像もできないほどの峻烈なもので、天龍寺や相国寺の僧堂ではこの遺誡を日ごろ肝に銘じて唱えております。「我に三等の弟子あり、いわゆる猛烈にして諸縁を放下(ほうげ)して専一に己事を究明する、これを上等とす、修行純ならず駁雑にして学を好む、これを中等という、自ら己霊の光輝を昧(くら)まして、ただ仏祖の涎唾(えんだ)を嗜む、これを下等と名づく、もしそれ心を外書に酔わしめ、業を文筆に立つる者、これはこれ剃頭(ていず)の俗人なり、以て下等となすに足らず(以下略)」と始まるものです。意味は自ずから明らかでしょう。
森本老師は、出家する身であるのにいまだ文字に拘泥していた小衲のことを心配されたのだと考えられます。このたび新たな門出を迎えた二人の好青年たちも、学問に専念しても、単に社会的名声やわが身の栄達を目指すことなく、「畢竟じて何の用ぞ」と自問自答し、僧堂生活に入っても、単に僧堂歴を取得して禅寺の住職になるための修行に満足せずに、「畢竟じて何の用ぞ」と自問自答して、本当の心からの大安心の境地に到ってもらいたいものです。合掌。