「真心を育てる」2015年8月【No.146】

TBSテレビ60周年特別企画として『日曜劇場 天皇の料理番』という番組が7月上旬に大好評の中に全12回の放送を終えました。回を追うごとに評判と視聴率が上がっていったドラマですので、ご覧になった方も多くおられることでしょう。小衲もあまり連続テレビドラマは見ないのですが、NHKの大河ドラマ『花燃ゆ』と、この『天皇の料理番』は例外です。杉森久英氏の同名の小説が原作なのですが、原作とはだいぶ異なるところがあります。しかしそのことでこのドラマの価値が半減することはないでしょう。主演の佐藤健さん以外にも、妻役の黒木華(はる)さん、主人公が「料理人の父」と慕う華族会館の料理長役の小林薫さん、法律を専攻するも志半ばで結核のために夭折する兄役の鈴木亮平さんなど、所を得た脇役さんたちがそれぞれ熱演していて、見どころ満載でした。多くの人たちが感想を述べているように、近頃まれに見る素晴らしいドラマだったように思います。

それは主人公の佐藤健さんが実際の料理学校で料理修行に励んで、プロも驚くほどの包丁さばきを身につけ(ジャガイモの皮を見事に剥く場面を覚えておられる方も多いと思います)、妻役の黒木華さんもプロデューサーから、「本当に主人公を愛して下さい」と言われて、佐藤健さんの日めくりカレンダーを自宅で使用したり、また鈴木亮平さんは結核のために夭折する病弱なお兄さん役作りのために20kgの減量をして、まるで本当の病人かと見紛(みまが)うばかりの見事な役者魂を発揮して、亡くなる場面では号泣する人が続出したといわれるほどの熱演をしました。うわべではなく、「本物」を目指そうとする心意気が、視聴者の感動を誘ったのは当然のことと言えるかも知れません。料理の世界も役者の世界もなかなか並大抵の気持ちでは貫徹できないことがよく分かります。

最近この光雲寺に入山下宿した大学院の学生さんが、「実家では『天皇の料理番』を家族みんなで興味深く見ていました。それで主人公の秋山徳蔵さんのことをもっと知りたく思い、その著作『味の散歩』という本を図書館で借りて読んでいるところです」といって見せてくれました。貸出期限までに全部を読み切ることはできなかったので、古書(60年ほど前の本です)を取り寄せて拝読しましたが、さすがに一芸を極めて天皇陛下の料理番を40年以上も勤め上げられた方だけあって、どの道にも通じる卓説を随処に散見することができます。

その中でも小衲が特に注目しましたのが、女性料理人の登場に期待する趣旨の「婦人のコック」と題する一段を締めくくる、「婦人は天性が料理のような仕事に向いているし、手先も器用である。味の感覚だって、煙草や酒に荒れている男子より鋭敏かも知れない。しかしなによりも、情が細かく、真心の深いのが最大の長所である。料理でも、つくるのは腕ではなく、けっきょく真心なのだから」(上掲書、53頁)という文章の一番最後の、「料理でも、つくるのは腕ではなく、けっきょく真心なのだから」という箇所です。

『味 天皇の料理番が語る昭和』という別の著作にも同様の趣旨が書かれています。「真心がつくる味」と題された一節には、「しかし、私にもしんからうまいと思って食うものがある。家庭のお総菜だ。これは、・・・(中略)専門家のつくる料理とは、全然別物なのだ。・・・(中略)何といっても、家で食べるものには真心がこもっている。しんから、うまいと思うのは、その真心のせいなのだ。」(上掲書、中央文庫版、88頁)とあります。またその次の「わが料理に悔なし」という一節には、「天皇陛下のお食事を何十年とつくられて心の安まることはないでしょうね」という問いかけに対して、「戦々兢々どころか、私は平気である。いつも気楽なものだ」と答えて、その所以を自ら考えるに、「陛下のお食事をおつくりするごとに、真心を捧げつくしていること、これだけは、世の中の誰にも絶対にヒケを取るものではない.私が自信をもっていい得ることは、これだけである。だが、そのためにこそ、私が心の平安を保っておられるのだと思う。仕事をしてしまったあとで気になることがない.悔いるところがない。」(91頁)と述べておられます。おそらく秋山徳蔵氏は、天皇陛下の日々のお食事をお作り申し上げるに際して、まるで愛しいご主人や子供たちのために真心をこめて作るお母さんのように、「家庭の味」を自然と心がけておられたのでしょう。

だいぶ以前のことになりますが、小衲は或る知り合いに招待されてカウンターで懐石料理を頂いたことがあります。結構なお値段がしたかと思うのですが、どうも心から感動できる味ではありませんでした。思わず、「幼い頃に祖母が作ってくれた琵琶湖のワカサギの煮付けの味が忘れられない」という言葉が口をついて出ました。祖母や母の作る味付けは、秋山氏がいわれるように、本当においしかったのです。

たかが料理の味付けと思ってはいけません。お寺の生活でも、一事が万事、心をこめて料理を作ることができないものに、心をこめて作務や坐禅などの修行ができるはずがないと思います。除草の作務が終わったときに、弟子のひとりに「あそこの所は草を引いたか」と聞いたところ、「ざっとやりました」という返答をしました。草引きを手抜きしてざっとしかできないものは、ろくな修行ができるはずがありません。案の定、その者には下山を命じざるを得ないような事態に至りました。これに対して、真心からする人は楽しみながらゆとりをもってできるはずです。そういう人の実践したあとは光を放って自ずから他人を感動させます。過酷な作務や厳しい坐禅修行でも四六時中の公案工夫でも、心をこめて行じていれば、愚痴や泣き言をこぼすことなく、かえって法悦に包まれるはずのものです。これは小衲が経験して、確信をもって断言できることです。

禅宗の初祖である達磨大師から六代目の六祖慧能禅師に、「一行三昧というは、一切処に於て、行住坐臥、常に一直心を行ずる是れなり」(『六祖壇経』定慧第四)という言葉があります。すべてのことに真心をつくす生き方は、六祖大師の「常行一直心」に通じるものがあると思います。

お寺に下宿している学生さんが帰郷する際に、「日頃、お寺で覚えた料理の腕前を奮ってご両親を驚かせ、喜ばせてあげたらどうか。食事の準備や洗い物をして、お母さんを手助けして差し上げたらどうか」というと、笑顔で元気よく、「やります!」といいます。こちらも若者のそうした素直な心の発露を見て、嬉しくなります。迎えに来られたご両親も彼をご覧になって、「以前とは見違えるようになりました」と満面の笑顔で帰って行かれました。

どうせなら、地位や名誉や金銭にあくせくするよりも、ゆったりと「金剛不壊(ふえ)の宝」であるわが真心を育てる一行三昧の人生を貫いていきたいものだとは思われませんか。今月のコラムは秋山徳蔵さんご自身の言葉を多く紹介しました関係上、いつもよりつい長くなりました。皆様方がますますご自身の真心を育てて行かれんことをご祈念申し上げます。

(なお、例年の如く、8月の月例坐禅会はお盆のために第2日曜日の9日は休会と致し、23日の第4日曜日のみと致します。毎土曜日の夜坐禅は休まずに行います。)

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