「禅の修行と体験(1)」2021年04月【No.213】

先月の13日(土)に南禅寺の龍淵閣で行われた「国際日本哲学会」の基調講演を行いました。この学会を主宰されている京大の先生がどうして私に基調講演を依頼されたかといえば、「辻村教授に師事され、京都学派に最も強い影響を与えたカント・ヘーゲル・ハイデッガーの研究をなされた管長様に、この度、西田哲学をテーマとする国際哲学会の基調講演をお引き受け頂きたい」ということでした。もとより哲学を離れて出家し、禅修行の道に進んだ私に対して、学問的講演を期待されているはずはないと思い、「禅の修行と体験」という演題で、西田幾多郎博士が構築された独創的日本哲学の根底にあるものをお話すればと思い、お引き受けした次第です。

 最初に申し上げたのは、「西田哲学の根本には禅がある。禅の修行とその体験なしには、決して西田哲学は創造されなかったであろう」ということです。私は禅の修行に邁進された何人かの西田門下の方々から薫陶を受けております。そのため、この講演の中では「西田先生」と呼ばせて頂きますと、最初にお断り致しました。久松真一先生にはお目にかかったことはありませんが、
森本省念老師(長岡禅塾)と片岡仁志先生(京大名誉教授)のお二人には特に格別の薫陶を受けましたし、西谷啓治先生(京大名誉教授)にもお宅でお目にかかったことがあります。孫弟子の辻村公一先生や上田閑照先生も、
長年禅修行に打ち込んだ方々です。これらの西田門下に連なる方々は主に相国寺僧堂で修行された方が多いようです(久松先生は妙心寺僧堂ですが)。

「寸心日記」を拝読すると分かるように、金沢の四高教授時代の西田先生(寸心居士)は「朝打坐、昼打坐、夜打坐」というように、それこそ必死になって坐禅修行に取り組み、一方では、「学問は畢竟 lifeの為なり、life なき学問は無用なり 」という有名な言葉を残しておられます。西田先生にとって「学問」とは単なる学術的論究にとどまるものではなく、「生」あるいは「生命」と直接関わるものでした。そして猛烈な坐禅修行振りはこの「life」という切実な
問題を解決せんがためであったであろうことは、想像に難くありません。

 「西田哲学の根本には禅がある」ということに関して、片岡仁志先生から
直接伺った興味深い逸話があります。片岡先生は北海道帝国大学時代に肺結核にかかられたのですが、病院のベッドの上で坐禅三昧の日々を送り、ついに
見性(自性徹見、お悟り)されました。そしてその当時刊行された西田先生の『善の研究』を読まれて、ぜひとも西田先生のもとで学びたいと念願され、
京都帝国大学に移られたのです。授業が終わってから西田先生に、「先生の『善の研究』は禅の修行や体験が根本にあると思いますが、いかがでしょうか」とたずねられると、先生は、「いや、わしは禅など知らん」と言い放たれたそうです。「禅など知らん」といわれた西田先生の返答に、かえって禅の機鋒が見て取れます。

 ところが、すでに見性の眼(まなこ)を具えておられた片岡先生の風格を感じられたのか、西田先生は片岡先生の友人であったご子息の外彦氏に、「お前の友人の片岡仁志を夕食に招待したいので、そのように伝えてくれ」と頼まれたそうです。ご招待を受けた当日の西田先生は、以前に禅の影響を否定されたときとは打って変わって、若い頃に自分がどれほど熱心に禅の修行に
打ち込んだのかを存分に話されたということです。

 西田先生は、富山国泰寺の雪門玄松老師に長年参禅され、大徳寺の広州宗澤老師のところで、禅の初関である「無字の公案」を透過されております。広州老師は備前曹源寺の儀山善来禅師のもとで、命がけの修行の後に大悟された方ですから、容易に公案を許される方ではないはずです。西田先生は無字の公案を許されたときに、「われはなはだ喜ばず」と感慨を述べられたということですが、それはどういうことか。森本老師は、「西田先生は、われはなはだ喜ばずと、喜んでおられる」と言っておられます。西田先生ご自身は明確な見性体験について言及されたことはないようですが、ともあれ、何らかの確固たる体験がなければ、あのような独創的な哲学を構築することは出来ないと私には思われます。
 
長くなりますので、今月はこのくらいにしておきます。

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