「禅界の現状とその問題点」2020年10月【No.207】

花園大学内に「禅文化研究所」という施設があります。花園大学の敷地内にあるとはいえ、公益法人であり、花園大学の研究機関ではありません。初代所長の山田無文老師の指導のもと、理事長の村上慈海金閣寺長老を中心として、昭和39年(1964年)1月に創設され、臨済宗や黄檗宗の各寺院などの協力支援や自助努力で、出版や学術研究など禅文化全般にわたる普及活動をおこなっている研究所です。

 今年になって、私はこの研究所の評議員に就任致しました。先般、その役員会議が京都市内で開かれ、20名ほどの方々が集まって研究所の事業内容などの説明がありました。最後に各自の意見を求められましたので、私は申し上げました、「禅界の現状は、出家して実参実究を志す雲衲が激減して、宗門全体がまさに危機的な状況にあります。文献の出版や学術研究も大切でしょうが、真の禅体験を得た人がいて、その上で禅文化の研究が初めて花開くのではないでしょうか。この研究所も何か実践面で活動して大摂心をするとかできませんか」と。

 禅文化研究所の創設に尽力された山田無文老師が師家をしておられた神戸の祥福寺僧堂は、実は私が在家の身で昭和47年に25歳のときに初めて5月の入制大摂心に参加した思い出深い道場です。禅堂には中単(坐禅用の長椅子)もあり、雲衲と在家の修行者を含めて50人はいたように思います。無文老師は当時73歳の円熟期で、その道力と高徳を慕って多くの修行者が参集するさまは、まさに人々が炎天下にその大樹のもとで涼をとることのできる、「天下の蔭涼樹」を体現されたように思われたものです。その大摂心の張りつめた真剣味のお蔭で、私は数息観に没頭することにより、計らずも自己を忘ずるという初体験をすることが出来ました。今にして思えば、もしあのとき即座に出家していれば、もっと早く埒(らち)があいたであろうにと、反省しております。

 無文老師のような見性の眼を具(そな)えられた本物の禅僧がお一人出現されるだけで、あのような興隆が可能となります。これは自戒の気持ちも込めて申し上げるのですが、今の禅界で一番必要なのは、禅籍の研究や出版ではなく、一身を擲(なげう)って仏道に邁進しようという道心のある本物の雲衲や在家の人を育てることではないでしょうか。無文老師は花園大学の学生時代に大学主催の八幡の円福僧堂での大摂心に参加され、初見性をされたと伺っております。われわれも長岡禅塾時代には、老師に懇願して毎月大摂心を開いて頂いたものです。具眼底の人物を打ち出すことが、ひいては禅文化全体の興隆にもつながると思います。雲衲を指導されている師家方のご苦労は並大抵ではないでしょうが、どうか禅門興隆のためにさらに力を尽くして頂きたいものです。

 またこれは最近の若者に対して申し上げたいのですが、純粋に願心を奮い立たせて禅を究めようという人はきわめて稀です。真一文字に鈍工夫をして公案三昧の法悦を得ようとするよりも、よそ見をして色んなことに手を出す、盤珪禅師のいわれる「脇かせぎ」をするから、一向に心の底からの悦びと安心を得ることが出来ないのです。禅の名僧の言行録などを読んで自らおおいに発奮してもらいたいものです。

 私の主宰する坐禅会では、私の言葉通りに真っ正直に無字三昧の工夫をして、法悦の日々を過ごしている人がおられます。これから皆さん方とご一緒に坐禅や公案工夫をしてますます禅をもり立てていこうではありませんか。

月刊コラム(毎月更新)

楽道庵住職ブログ

facebook

臨済宗大本山南禅寺

× 閉じる