「肇法師 」2025年10月【No.266】
中国の禅の名僧である雲門文偃(ぶんえん)禅師(864 – 949)があるとき、「この天地宇宙のうちに素晴らしいひとつの宝がある。それは私たちの身体に備わっている」(乾坤の内、宇宙の間、中に一宝有り、形山に秘在す)と門下の皆に示されました。この言葉は肇法師(じょうほっし、384-414)の『宝藏論』にある言葉です。肇法師は初め貧しい書生として本やお経を写すことで生計を立てておられました。最初は老荘の哲学を重視しておられたのですが、ある時『維摩経(ゆいまきょう)』を写した時に仏教の真髄に触れて感激され、20歳で出家されたのです。
その時分に有名な翻訳家の鳩摩羅什(くまらじゅう、344-413)が西域の方からやってきて、後秦(ごしん)の皇帝の別荘であった逍遥園(しょうようえん)で翻訳に従事しておられるということを聞いて、鳩摩羅什尊者を拝して弟子にしてもらわれたということです。鳩摩羅什尊者は肇法師と色々と話をされて彼の聡明さに感激され、「法中の龍象」であると讚えられたということです。肇法師は鳩摩羅什尊者のもとで経典の研究や翻訳をするだけではなく、達磨大師の師匠である般若多羅尊者の孫弟子の覚賢三蔵について坐禅三昧に打ち込み、禅の蘊奥(うんのう)も極められたということです。
ところが鳩摩羅什尊者がお亡くなりになると、時の皇帝は「お前は坊主にしておくのは惜しい男だ。還俗(げんぞく)してわしの秘書になって政治家になれ」と再三にわたり強要したのですが、肇法師は「私はすでに頭を剃って一生を仏法に捧げた者であり、今さら還俗する気はございません」ときっぱりと断りました。「皇帝の言うことを聞かないような奴は死刑に処するぞ」と言われたのですが、「死刑にされようが、私の志は変わりません」と応じた肇法師に対して、この皇帝は無情にも本当に死刑を宣告したのです。
肇法師はやむを得ないこととして受け容れたのですが、7日間の猶予を願い、その間に書き上げたのが『宝藏論』という書物です。そして死に臨んで、「四大、元と主無し、五陰、本来空なり、頭(こうべ)を将(もっ)て白刃(はくじん)に臨めば、猶(なお)春風を斬るに似たり」という言葉を残してわずかに32歳で泰然自若として亡くなられました。
雲門禅師は『宝藏論』の中の「乾坤の内、宇宙の間、中に一宝有り、形山に秘在す」という四句は禅の宗旨といささかも変わらない優れた言葉であるとして、皆に示されたのです。お互いの身体の中には値のつけられないほど素晴らしい宝があることが分かるというのが、仏法であり、禅なのです。私たちの身体は仮りに集まったもので、いずれは遅かれ早かれ消えてなくなりますが、無我の自分、空の自分こそ生まれたままの自分で、仏心仏性と呼ばれるものであり、例外なく私たちに備わったものです。禅の修行者たちはこの真実に目覚めようと目の色を変えて工夫三昧の日々を送るのです。
わが身に備わったこの無価(値のつけられない)珍宝を発見するには、仏陀の「入出息念定」、数息観、公案三昧に邁進されんことを是非お勧め致します。




