「苦徹、珠を成す」2014年7月【No.133】

中山博道氏(明治五年ー昭和三十三年、1872−1958)といえば、大日本武徳会から史上初めて剣道・居合術・杖術の三道で範士号を授与された武道家で、その道ではまさに神様のような人であり、昭和初期の剣道界において髙野佐三郎と並ぶ最高権威者であった。

この達人が一通りの剣道を修めてから、居合い術の必要を感じ、その修練に熱中していた若くて意気盛んな頃の話である。山形県の北村山郡に林崎神社という神社がある。四百年以上も前から居合術の林崎夢想流始祖、林崎甚助を祀っており、徳川時代以来、幾多の武術家が参籠して居合の修練を錬磨し合ったという歴史があった。

中山博道氏は参籠の期間を七日と定め、その間は白湯と粥だけの食事で過ごし、不眠不休で七日七夜、抜刀し続けた。その間、疲労困憊の極に達したが、午前二時から四時頃の深更になると、まるで神が助力して下さったように不思議なほど楽に心地良く抜刀できた。その結果、一昼夜で約一万一千回、七昼夜で七万五千回以上もの居合の回数を記録した。満願の朝には、われながらこの記録は超人的で実に古今未曾有であると内心得意に満ちて神前に報告し、意気揚々とこの素晴らしい記録をその神社の額堂に誌して後世に残しておこうと思った。

ところが、ふと見上げると、そこには江戸時代の幾多の武芸者の挙げた記録が掲げてある。その先達の修行振りを見るに、一昼夜一万八千刀や、中には二万刀を越えている人すらあった。中山博道氏はここに到り、わが身の愚かな自負心と、仮そめにも抱いた高慢心とをにわかに恥じ入り、神庭の大地に額ずいてしまったという。

この経験から氏は、次のように述べておられる。「どうも人間は誰でも、自分が少し励んでいると、おれはかくの如くやっていると、すぐ自負してしまうところがある。それが何事においても修行の止まりになってしまうのである。以来、私はいつでも自分が努力したと自分で許す心になる時は、いやまだ自分の先には自分以上にやっている人間が無数にあるぞということを自戒として胸に思い出すことにしている。充分にやったと思う以上、なおまた以上、やってやってやり抜いてこそ、初めて修行らしい修行をした人間ということができるのではあるまいか。
『苦徹成珠』(苦徹、珠を成す)、私は自分でこの句を額にかいて、人にも与え、自分も常に壁間に掲げて修行の心としている。苦徹、それはただ剣道の修行だけとは限らない。あらゆる道が苦徹を踏んで初めて大道に達することができるのである。」

以上が、「昭和の剣聖」、「最後の武芸者」といわれた中山博道氏の体験談である。確かに人は誰でもすぐに自負心を抱いて高慢になりがちである。臨済宗中興の祖といわれ、五百年間出の大禅匠といわれる白隠禅師ですら、二十六歳で遠寺の鐘声を聞いて豁然として大悟し、「三百年来、自分ほど痛快な悟りを開いたものはいないはずだ」と大いに高慢心を起こしたが、信州飯山の正受老人に相見してその増上慢を木っ端微塵に砕かれたという。

苦徹、真箇の苦修とはどういうものか。のちに白隠禅師は『臘八示衆』において、「心の臓を養うに苦修を第一と為す。専ら精彩を著けて苦修、骨に徹する則(とき)んば、神気朗然たり。故に慈明曰く、古人刻苦、光明必ず盛大なり」といっておられる。苦修した挙げ句の成果である「光明」とは名利や地位などではなく、自内証の朗然たる法悦であるというのである。この「神気朗然」たる境地を体験すべく一身を擲って骨を折るのが、雲衲というものである。しかし、わが身で「これこそは神気朗然というものであろう」と安易に即断すれば、増上慢に陥ることは中山博道氏の体験にある通りで、ゆめゆめ用心しなければなるまい。

世間的な地位や名誉のある人よりも、名もなき市井の熟練職人の骨相、風貌の良さに心を打たれた経験を持つ人も数多いことであろう。これも一芸に熟達して得られた朗然たる心境のしからしむるところではないか。吉川英治氏は幼少から非常に苦労された作家であるが、この人は次のような含蓄のある言葉を吐いておられる。
「およそ『自分ほど苦労した者はありません』などと自らいえる人の苦労と称するものなどは、十中の十までが、ほんとの苦労であったためしはない。とるに足らない人生途上の何かに過ぎないのである。ほんとに人生の苦労らしい苦労をなめたに違いない人間は、そんな惨苦と闘ってきたようにも見えないほど、明るくて温和に、そしてどこか風雨に洗われた花の淡々たる姿のように、さりげない人柄をもつに至るものである。なぜならば、正しく苦労をうけとって、正しく克(か)ってきた生命には、当然、そういうゆかしい底光りと香がその人の身についているはずのものだからである。」(吉川英治文庫138,『折々の記』186頁)

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