「僧堂の現状を憂う」2013年10月【No.124】

わが光雲寺は、南禅寺本山よりの委託を受けて「南禅寺禅センター」として年間一万三千人以上の坐禅研修者を受け容れている。小中高の修学旅行生が一番多いが、大学生や一般企業などの研修もよく依頼される。そしてその数は年々増加の一途を辿っている。この十月にはついに過去最高の二千九百人を超える勢いである。

いつも坐禅の前に「坐禅経験者の人は?」と尋ねて挙手して頂くのであるが、初めての人が圧倒的に多いのが実情である。この「南禅寺禅センター」・光雲寺だけでもこの有様であるから、日本全国では実に多くの人たちが坐禅体験を経験していることになるであろう。坐禅修行の底辺が広がりつつあることは確実であるといってよい。

しかしそれに比べて禅僧を育成する専門道場である僧堂の現状はいかがであろうか。何人かの老師方や雲衲らの話から現状を察するに、われわれの修行時代とは比較にならぬほど雲衲の質が低下しているらしいのである。特に新到の雲水は、僧堂に掛搭したものの、師匠である親の住職からほとんど雛僧教育を受けていない上に、甘やかされて育ったがためにわがままだけは人一倍で、僧堂の老師や高単の役位が対応に苦慮しているらしい。

規矩厳正な専門道場に掛搭するに際しては、「這回(しゃかい)掛搭御免許を蒙る以上は貴道場の制規を遵守するは勿論、大事了畢迄必ず退場仕らず、若し制規に犯触せば、何等の御処分これあるとも苦しからず候。仍(よ)って誓約証件(くだん)の如し」という「誓約書」を持参提示しなければならぬのであるが、この「誓約書」は近頃ではまったく有名無実化している。我見を捨てて従わねばならぬにもかかわらず、規矩違反どころか、部屋に閉じこもるなど新到の雲水の勝手気ままがまかり通り、老師や役位もほとほと困り果てているのが実情であるという。われわれの頃には想像もできないゆゆしき事態である。

このような状況が生じた最大の原因は、師匠であり親である住職が後継者となるべき息子にきちんとした『雛僧要訓』などを読み聞かせ、また自らが率先垂範して範を垂れるという雛僧教育の実践を怠ってきたがためであろう。確かに弟子は師匠の願望するようになかなか「親勝り」には育ってくれないものであるが、それでも何とかして多くの人々の蔭涼樹となるような立派な禅僧になってほしいと努めるのが本当ではなかろうか。

他方、在家の人たちの中には、専門の修行僧よりも遥かに真剣な願心をもっているひとが数多くいる。そうした人たちの中から禅の無上道を真に極めようという人がひとりでも多く出て頂きたいものである。

この光雲寺ではたとえ職業を持っている在家の人でも、お寺で生活しながら通勤して禅の修行をしたいという人を受け容れております。ご希望の方はご連絡をお待ちしております(℡.075−751−7949)。

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