「東福門院毎歳忌」2021年05月【No.214】

本来ならば、「禅の修行と体験」の(2)を先月に引き続いて書くところでしたが、光雲寺を創設した開基ともいうべき東福門院(後水尾天皇の皇后)の343年の毎歳忌が来たる6月15日の午前11時から拙寺にて執り行われますので、今月はそれについてご報告しようと思います。

 光雲寺はもともと南禅寺開山・大明国師(1212−1291)が南禅寺を開創する十年以上前に、摂津の国、四天王寺の付近に建立されたのですが、応仁の乱の戦火のために、荒廃しておりました。徳川二代将軍秀忠公を父にもつ東福門院(徳川和子・まさこ)は14歳で26歳の後水尾天皇の中宮となられましたが、兄の三代将軍家光公が亡くなってからしばらくして、父の秀忠公の遺産金を用いてご自分の菩提寺を建立したいと考えるようになられました。

 東福門院に仕えていた野々宮丹後守兼綱は、そのことを当時、南禅寺の西堂職にあった英中玄賢禅師に相談しました。英中禅師は大明国師開創の由緒ある光雲寺を摂津の国から南禅寺の北ノ坊の地に移転して、東福門院の菩提寺として再興すればいかがか、と進言したところ、東福門院は悦ばれ、光雲寺をご自分の菩提寺として再興されることになりました。諸堂の建造は寛文4年(1664)より寛文6年まで続き、かくして5300坪の広大な寺域に仏殿・禅堂・書院・庫裏(くり)・衆寮などの諸堂宇が建立され、50人に及ぶ禅僧が切磋琢磨して修行したと伝えられております。

 光雲寺中興の英中禅師は板倉家に養子に入られた後に南禅寺で出家された方ですが、この板倉家からは勝重公や重宗公など、京都所司代となった名君を輩出し、板倉家の方々はよく光雲寺を訪ねられたということです。そして板倉家歴代のお位牌を光雲寺でお祀(まつ)りしてもらう代わりに、家康公の信任厚かった勝重公のお屋敷を寄進されたと伝えられております。

 残念ながら、往時をしのぶ建造物は、仏殿と、東福門院の第一皇女であられた明正天皇が寛文11年(1671)に寄進された鐘楼を残すのみとなりましたが、現在の光雲寺の実質的な開基は東福門院であると申し上げてよいかと思われます。

 さて、6月15日の東福門院毎歳忌を執り行うに際しまして、5月末に新潮社から刊行予定の『華の譜 東福門院徳川和子』の著者であられる梓澤要(あずさわかなめ)様に講演をご依頼しましたところ、有り難いことに快諾して頂きました。さらに、当日には関西学院大学の河上茂樹教授が再現された東福門院の寛文小袖を拝借して、ご参列の皆様方にご覧頂くことが可能となりました。

 また、この機会に、東福門院343回忌の法要に先立って、拙寺檀家の根岸良子様が「東福門院をしのんで着物を愉しむ会」を開催されます。開催要項を以下にご案内申し上げます。

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宮中に小袖を広め(後に寛文小袖と呼ばれる)、当時の我が国のファッションリーダーであった東福門院をしのんで、良質の着物を着て愉しむ会を開催します。当日ご着用いただく着物は、その道の職人さんが、古来日本に伝わる伝統技術を駆使し、精魂込めてつくったものです。大切に育まれた日本の伝統を肌で感じていただき、次世代に紡ぐことの大切さを知っていただきたいと思っています。


【開催要項】
日程:6月6日(日)午前9時半~13時30分
場所:光雲寺、着付けは閑雲庵(注)
着付・ヘアセット:9:30~11:00(順次)
奉納:11:00~11:30 東福門院仏殿にお参り
撮影会:11:30~12:00 光雲寺にて
昼食会:12:00~ 光雲寺にて
記念講演:12:45〜 河上茂樹教授 「東福門院の寛文小袖の再現について」
解散:13:30頃
会費:1万円(着付け、ヘアセット、昼食、抹茶・和菓子、着物クリーニング、撮影代含む)
参加人数:10名前後(コロナ対策のため、少人数で開催いたします)
展示:東福門院寛文小袖(河上教授によって再現された小袖)

【当日ご用意する着物・帯】
着物:ぎをん齋藤、志ま亀、千總、皇室献上作家、人間国宝作家等の着物
帯:龍村、山口美術織物、河合美術織物、川島織物、誉田屋源兵衛、人間国宝作家等の帯

(注)閑雲庵:(葵ホテル&リゾートの施設、光雲寺隣接)
京都市左京区南禅寺北ノ坊町10番地2

【問合せ先】
根岸良子 negishi@ff.iij4u.or.jp

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 なお、当日はマスク着用でお願い申し上げます。
(緊急事態宣言中の土曜の夜坐禅と5月9日の月例坐禅会は休止させて頂きます。)

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