「楽未央」2025年03月【No.259】

 春暖の候が到来し、庭の梅も咲き始め馥郁(ふくいく)たる香りを漂わしている今日この頃です。さて私は2ヶ月に一度、名医による血液検査を受けて自分の体調管理をしております。以前は毎年行なっていた人間ドックには行かなくなって、もう何年も経(た)ちます。人間ドックの場合、レントゲンなどの照射を受けたりするのがかえって身体に良くないと知ったからです。血液検査を受けた上での面談では、先生は検査結果を見て、実に懇切に説明して下さいます。先般の面談では「なかなかよく身体を使っておられますね」と指摘され、そんなことまで分かるのかと驚いた次第です。確かに私は下宿している学生さん達以上に、なるだけ率先して身体を動かすように日頃心がけております。20畝(うね)ある畑の畝造りなどは堆肥をいれるヘルパーの学生さんの助力を得る以外は、ほぼ1人で行なっております。こうして身体を動かすことはわが身の健康にも良いと実感しております。

 105歳まで長命された聖路加国際病院名誉院長であられた日野原重明先生は生涯現役の活動を多方面において続けられ、健康教育の発展に尽力されたと聞いております。それに反して、会社を定年退職すると楽隠居の身になって安楽に日々を過ごすことにより、かえって寿命を縮めてしまうことになりかねないことがよくあると聞いております。私も生涯現役の積もりで日々を過ごして行きたいと思っておりますが、その際、何といってもプラス思考に徹することが大切だと思っております。心を常に穏やかに保てば、他人に対する不満や愚痴などは出なくなるはずです。

 「楽未央」(よろこび、いまだなかば)という言葉があります。どんなに安楽な境涯になってもそれは途中の風光に過ぎない、更に向上を目指して進まなければならないという意味です。禅修行の場合、われわれ臨済宗では呼吸を「ひとーつ、ふたーつ・・・」と数える数息観か、あるいは入出の息を念ずる仏陀の調息法である「入出息念定」で三昧境を体得し、さらに公案工夫により見性解脱の境地に至ることを目指します。この初歩の呼吸法が十分に身についていないがために公案を頭でさばく人が多いのを危惧して、私は数息観と入出息念定とに徹底することを禅の修行者たちに勧めております。人によってはこうした工夫の仕方がはからいに過ぎないではないかと思う人もあるようですが、それはその人が工夫三昧の醍醐味を味わったことがないからでありましょう。三昧境に没入すると、自分で「工夫しよう」と計(はか)らわなくても無意識のうちに工夫するということが可能となります。「三昧、三昧を知らず」といわれる通りです。しかしそれで喜んで工夫を怠ってはいけません。工夫の法悦は底知れぬものがあります。無限の向上を目指す「楽未央」の底しれぬ法悦を噛みしめたいものです。

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