「新年の抱負」( 月刊コラム【No.80】2010年1月 )
新年明けましておめでとうございます。今年が皆様方にとってよい年でありますようにご祈念申し上げます。
回顧すれば、この光雲寺では昨年も色んな出来事があった。11月22日から一週間行なった「東福門院と光雲寺」展には一千人に上る方々のご来訪をかたじけなくしたことは、まことに有り難いことであった。心から御礼(おんれい)を申し上げたい。
年末には、2004年10月の円山川の氾濫による大水害で商売が壊滅的大打撃を受けられ、ついには廃業に追い込まれた丹後の豊岡市在住のご婦人(この方は弟子の一人の親戚にあたる方である)が、「お台所で皆さん方に使って頂ければ」というお手紙とともに、丹精込めて編まれた布草履を何足も送って下された。素足でその布草履をはくと、何ともいえないやさしい温かい感触が足の裏に伝わってくる。ご自身の逼迫(ひっぱく)した境遇にもかかわらず、お寺で修行している人たちに使って頂こうと思われて一心に編まれたその気高いお心持ちを思い、感激一入(ひとしお)であった。
また月例坐禅会や毎土曜の夜坐禅を通じて、多くの仏縁ができたことも本当に嬉しいことである。その大勢の方の中で、東京から月例坐禅会に参加された或る一流大学の理系教授がおられる。この方は一度参加されて大いに感激され、ふた月に一度の割合で来られる決心をされたということであるが、東京に戻られてからも実に真剣に工夫され、何度か法悦あふれるメールを頂戴した。「道心のある人は、わずかな策励によっても大いに修行が進むこと、この通りである。旧参の諸大徳も後れを取ってはなりませんぞ」と提唱で力説することしきりである。
普段でも小衲のところには、色んなことで面会に見えられる方々がいる。海外からの来客も多い。まさに嬉しい悲鳴である。たとい超多忙な日でも、面会を希望される方にはできるだけ時間を取ってお目にかかるようにしている。
特にこのところ真夜中に起きて、難解極まる南院国師(南禅寺創建開山)語録に取り組んでいるので、睡眠時間がだいぶ少なくなって、日中には疲れが出ることが多い。しかし、疲労困憊していても、来客とお会いしているうちに実に気分爽快になってくるから、まことに妙である。その法悦たるや、あたかも坐禅して三昧境に入って感得されてくる、えもいえぬ法悦に似ている。それは小衲がそうした機縁を厭うことなく、むしろ歓迎しているからでもあろうか。来客に対しては歓待(hospitality)ということをモットーとしているが、そのきっかけは撮影と取材に来られた米人監督一行が別れ際に、”Thank you for your hospitality”.と挨拶された思い出があるからである。
真宗の大安心を得られた妙好人の因幡(いなば)の源左さんのいうように、くたびれたらお茶にしたり一服したりすればよい。何も悩む必要がないから、まことに気が楽である。後悔の念や取り越し苦労があって相談に来られた人々に、「そういう思いを引きずっていては、今がおろそかになりますよ。眼前のことに心を込めて対処され、時々刻々を楽しみながら過ごされますように」とお話ししているうちに、例外なく、いつのまにやら前向きに変わられて、満面の笑顔になって帰られるのが、小衲のひそかな楽しみである。
今年一年も皆様方が日々を楽しんで充実しながら過ごされることを切にご祈念申し上げるとともに、この光雲寺もまたよき法縁に恵まれることを期待してやまない。