「そのもとを務めよ」2021年07月【No.216】

コロナの緊急事態宣言が解除され、先月下旬久しぶりに月例坐禅会を行いました。興味深いことに、これまでなかったほど大勢の方々が参加されました。コロナ禍で鬱積(うっせき)した気持ちから坐禅修行によって開放されたい、という思いの人が多かったからではないでしょうか。現に、京都の大学に通う女子学生さんは、坐禅後の話し合いの中で、「外出がなかなか出来ずに気がめいっていました」と率直な気持ちを述べ、坐禅により気分が一新して晴れやかになったように見受けられました。

 すでにお知らせしましたように、去る6月15日には光雲寺の中興開基である東福門院(後水尾天皇皇后)の343回忌を行い、『華の譜 東福門院徳川和子』(令和3年5月、新潮社刊)の著者である梓澤要(あずさわかなめ)様に講演をご依頼いたしました。古筆を研究されたという経歴をお持ちで、東福門院の書が、当初は若さや溌剌さを備えて粗削りだったものが、次第に円熟して柔軟で穏和な姿へと変貌して行ったことを話されました。そこから、武家の徳川将軍家から14歳で天皇に輿(こし)入れし、国母としての宮中での生活環境を通じて、東福門院の心境が見事に変貌し円熟して行ったことが伺えると、まことに興味深いご指摘を拝聴することができました。

 この『華の譜 東福門院徳川和子』という書物は、東福門院の菩提寺の住職である私が驚嘆するほど、実に綿密に調べ上げられたもので、東福門院のことを知りたい方々にはぜひお勧めしたいと思います。また法要当日には、関西学院大学の河上茂樹教授が10年以上前に復元された東福門院の寛文小袖を展示し、ご参列の方々にご覧頂くことができました。

 5月のコラムにも申し上げましたように、この15日の法要に先立って、6日(日曜日)に檀信徒の方が中心となり、「東福門院をしのんで着物を愉しむ会」が光雲寺で開催されました。東福門院は小袖という武家の着物を尾形光琳や乾山の実家である雁金屋(かりがねや)に数多く注文し、それを宮廷と徳川家の和合のために用いられたということです。われわれ男性には女性の着物のことは分かりませんが、最近では着物を多数所有していてもなかなか着る機会が少ないということで、檀家さんなどが東福門院をしのんで上質の着物を着て、撮影会が催されました。

 当日ご講演して下さった河上教授からは、「東福門院の寛文小袖の復元」に関して、南禅寺本山から拝借したプロジェクターとホワイトボードを使って、懇切丁寧なご説明を頂きました。当時の着物文化、着物にまつわる金銭事情等もうかがうことができ、大変興味深い内容でした。またせっかく復元された寛文小袖が展示されるということで、以前に拙寺で「舞妓さんの撮影会」に見えられた、祇園甲部の「まめ藤さん」にお越し頂き、その小袖を着用して頂きました。着物の作家さんもお見えでしたが、その方によれば、着物を作る際には、女性の方が着られた風情を想像しながら造られるそうです。なかなか芸妓さんにお目にかかることがない女性方は、とても悦ばれ、一緒に記念写真を撮られたりなどして、活き活きとしたご様子でした。

 まめ藤さんのお話では、やはりコロナの緊急事態宣言中なので、こうした機会は「本当に久しぶりです」ということでした。宿泊業や飲食業を初めとして、各方面にわたりコロナ禍の甚大な影響が広まっておりますが、早くコロナが収まり、通常の状況にもどって欲しいと願わずにはおれません。

 さて、緊急事態宣言中であろうとなかろうと、坐禅工夫する人々には工夫三昧を貫いて頂きたいと思います。妙心寺開山・無相大師(関山慧玄禅師)は、「汝等請う、其の本(もと)を務(つと)めよ。・・・誤って葉を摘(つ)み、枝を尋ぬること莫(な)くんば好(よ)し」と遺誡で述べておられます。最近の学生さんはよく読書をしているように見受けられます。本を読んで学問的知識を増やすのも結構ですが、それは無相大師がいわれる「葉を摘み、枝を尋ね」ていることになりはしないでしょうか。

 務めるべき「そのもと」とは、禅の実参実究のことでしょう。「そのもと」を務めて、法悦の毎日を過ごされる方が一人でも増えることを祈念しております。

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