「三昧工夫の秘訣」2019年12月【No.197】

 先月のコラムでは「無字三昧の法悦」について色々と書かせて頂きましたが、今月は、ではどうして出家にしろ在家にしろ、坐禅修行に励む人たちが真箇の三昧境に入ることが難しいのかという問題をお話し致しましょう。中国宋代の名僧で、三年以内に見性(お悟り)できなければ死ぬという「死限」を立てて猛烈な修行に励まれた高峰原妙禅師(1238−1295)は、この問題に関して次のように述べられています。

「修行者仲間の雲衲方よ、十年二十年或いは一生かかって世縁を放下してひたすら此の事の究明に努めているにもかかわらず、真の透脱を得ることが出来ないのは、一体いかなる病があるのであろうか。具眼底の衲僧ならば、試みに申して見よ。自ら答えて曰く、それは、もともと我が身に非凡な天性がなかったからではないか。それは、明眼の師に遇うことがなかったからではないか。それは、一日修行しては十日懈怠したからではないか。それは、少根劣機にして道心が足らなかったが故ではないか。それは、煩悩の塵によって心をいたずらに労することに浸り切っていたからではないか。それは、空寂の境地に尻を据えてしまったからではないか。それは、執着心や有所得心などの雑毒が心に入って来たからではないか。それは、骨を折ってはいるが時節因縁が未だ熟さないからではないか。それは、言句(話頭・公案)を疑うことがないからではないか。それは、未だ得ておらぬ境地を得たと言い、未だ証悟しておらぬのに証悟したと言っているからではないか。」

師はこのようにいかにも修行者達が述べそうな理由を列挙した後に、こう結んでおられます。「もし修行者の膏肓の疾(不治の病)は何かということならば、今述べたことのいずれにも原因があるのでもない。今述べたことでないとすれば、畢竟どこにその根本原因があるというのか。咄。三条椽下・七尺単前。」 「三条椽下・七尺単前」とは『碧巌録』第二十五則にも見える句で、禅堂で雲衲が坐禅する単のことであり、また単上から見た眼前の光景です。師の本意は、「四の五の弁解せずに、分別を根こそぎにして死地に入る程の坐禅に励んでこい。坐り様・死に切り様が足らぬわい」ということであろうかと拝察されます。

 真の透脱の境地に到ろうとすれば、まず三昧境に入らなければなりません。多くの坐禅に志す人たちがなかなか真の三昧境に入ることができないのは、他でもありません、本当に真剣に工夫していないからです。先述の高峰禅師は「工夫の最中にたとえ人がやって来てわが首を切り取ったとしても工夫することを止めてはならぬ」と明言しておられます。小衲自身の体験から申せば、本当に命懸けで工夫すれば、ものの三十分もあれば三昧境に入ることが可能です。小衲が京叢林から転錫して鎌倉の建長寺の湊素堂老師について修行していた頃のことです。京都からの転錫ですからまさに背水の陣で臨み、連日四六時中の無字三昧の工夫に余念がありませんでした。こうして充実した日々を過ごしていた頃、或る除策の日のことです。「除策」とは特別な休みの日でその日一日は禅堂内で坐禅をすることなく、自由に時間を過ごすことができます。同僚の雲水達はトランプ遊びなどに興じていたのですが、小衲は別段遊びなどは眼中になかったので、昭堂(開山堂)裏の濡れ縁に坐って石地蔵群と向かい合って、「無—、無—、無—」と無字三昧に浸りきりました。夕方になって皆の洗濯物を自発的に取り入れてたたんでいる頃から、次第にえも言えぬ心地になってきたのです。除策の日といえども、午後九時の開枕の作法の前に数十分の坐禅の時間があります。三昧境が育っていた小衲は、その短い時間を決死の覚悟で坐禅工夫に打ち込みました。二つの崖の上にかけられた丸木橋があるとしましょう。もし一歩でも油断をすると真っ逆さまに谷底に落ちて死んでしまうのは必定(ひつじょう)です。その命がけの一歩が「無—」の一回の拈提だという気で、真剣に工夫に取り組んだのです。すると、瞬(またた)く間に実に深い禅定に入ることができ、すべてがあるがままで空じられる法悦が満身に充ち満ちたのです。しかしそれにも尻をすえずに、更に「無—、無—」と間断なく拈提を続けました。開枕の作法の後、除策の日は夜坐は休みであったのですが、小衲は148段の石段をかけ昇って、開山大覚禅師と円覚寺開山無学祖元禅師の墓の前で朝まで徹宵夜坐して大いに禅定を練りました。

 また建長寺に転錫する前にも電車の中で工夫三昧に励んだ結果、すべてを空じ尽くした三昧境に入ったことがあります。京都から大阪の実家に帰った時のことです。特急列車の二人掛けのいわゆる「ロマンスシート」よりも急行列車の方が、目の前に遮るものがなく工夫がしやすかったので急行に乗ったのです。小衲は座席に坐るや否や、ちょうど禅堂で坐禅する時と同様に、しっかりと目を見開き、向かいのシートに坐っている人の靴に目の照準を合わせて、まるで狂気の様に「無、無、無」と拈提し始めました。隣りに坐っていた若い女性がこの異様な様子を見て連れの男性とくすくす笑っていましたが、その時の必死の小衲にとっては他人がどう思おうが何ら問題ではありませんでした。公案工夫というものは他人の目など気にすることなく、ただひたすら公案三昧になることだけに全身全霊を集中させるべきものです。この時の工夫は我ながら真剣そのもので微塵の隙もなかったので、またたく間に佳境に入ったのです。京都から大阪までの四十分の乗車時間の間に、自分でも驚くほどの心境になることができました。どんな心境かと問われれば、心を「無」の一点に集中することによって、自我も分別心もにわかに空じられてしまい、それと同時に廻りの環境も八面玲瓏(れいろう)となったのです。自己を空じた清々(すがすが)しさはその体験のある人でなければ分かりません。小衲はひとときの間断もなく、うたた空じればうたた工夫しました。終着駅に下りた時には、まるで無そのものの自分が雲の中を歩んでいるような思いがしました。その夜はちょうど土砂降りの雨でしたが、あいにく傘を持参していませんでした。だがその時の小衲にはそんなことはいささかも問題ではなく、雨の中を「無、無、無」と必死になって成り切りながら二十分ほど歩いて実家に辿り着いたのです。これがあと二時間ばかりも歩いていたならもっとよかったのにと、後になって思ったことです。さて家に帰ったずぶぬれの小衲の姿を見て、母と弟は唖然としました。母は「何だ、お前その恰好は」と言い、弟は「電話してくれたら車で迎えに行ってあげたのに」と憤りながら言ったのです。しかし小衲は二人の言葉には耳を傾けずに、「今日はよかった、本当によかった」と言うばかりでしたので、遂に母も「そうかそれはよかったね」と訳の分からぬながら相づちを打つほかはなかったのです。

 もとより三昧境の体験はまだまだありますが、小衲が確信をもって断言できるのは、命懸けで、微塵のすきもなく工夫すれば、必ずや目指す三昧境に入ることは可能だということです。困難であるのはその人が本当に真剣に工夫していないからです。ただご注意申し上げたいのはひとたび三昧境に入ったからといって、有頂天になり、工夫をそれで中断してしまわないことです。境涯が進めばますます工夫に没頭すべきです。皆さん方も真剣に工夫して「三昧境の法悦」の醍醐味を堪能されませんか。

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