「基本を極めることの重要性」2026年01月【No.269】
新年明けましてお目出度うございます。本年が皆様にとって良い一年であることをご祈念申し上げます。
昨年末に初の女性首相の高市早苗総理が誕生して、横暴な中国に対して、わが国の国益と国民の安寧を第一に考えた施策を果敢におこなっておられるので、数多くの国民の支持を集めています。特に若者層の支持率は9割を超える驚異的な数字を保持しております。今後が大いに楽しみです。さて、今月のコラムは「基本を極めることの重要性」ということについてお話しようと思います。
毎月一回、お一人で坐禅に来られるお茶の宗匠が或るとき訊ねられました、「坐禅修行する際に一番大切なことは何でしょうか。」私は即座に答えました、「それは基本をしっかりと極め、身につけることです」と。禅修行の基本とは、日常の行儀作法を身につけること以外に、何よりも基本となる工夫に邁進することが大切です。仏陀が行われた入出息念定(随息観)、或いは丹田呼吸をしながら自分の呼吸を「ひとーつ、ふたーつ・・・」と数えて行く数息観、或いは公案のうちで初関(最初の関門)とされる「無字の公案」、そうした工夫にわが身を忘れて四六時中邁進することが一番大切なことです。白隠禅師は「臘八示衆」の「第一夜」において「無量三昧のうちには数息をもって最上となす」と言っておられます。真剣に数息観をおこなっていけば、計り知れない三昧境に入ることができるというのです。
現在の臨済宗の僧堂では初めて掛搭(入門)した雲水(修行僧)に対して数ヶ月間の数息観をさせているところが多いようです。老師によっては一年間も数息観をさせる方もおられるようです。とはいえ、果たしてその期間中に三昧境を経験した人がいくらいるでしょうか? 真剣味のない数息観の工夫を何年したところで、深い三昧境に入ることは不可能です。私の場合は、何度も申し上げているように、出家する3年前の25歳の時に神戸の祥福寺僧堂の入制大摂心(集中的坐禅修行期間)に初めて参加した際に、四六時中の数息三昧をおこなうことによって、驚くような三昧境に入ることができました。
臨済宗は数息観を経験した後、公案を与えて公案三昧の工夫を課しますが、果たして初関の無字の公案を真剣に工夫して大禅定に入り、見性(お悟り)した人が何人いるでしょうか? 本当に透過していない者を簡単に許すのは不親切と言わざるを得ません。もっとも基本となる初関の公案を良い加減に許されて、色々の公案を見ていっても、それによって心の安心を得ることはできません。私は新年に当たり、禅の修行をする方々に対して、基本となる数息観や無字三昧の工夫の真剣な徹底の必要性を力説したいと思います。




