「孤危立せず、道まさに高し」2023年07月【No.240】

私のお寺では月二回の月例坐禅会を開催しております。提唱の講本は禅宗で「宗門第一の書」と称される『碧巌録』です。先日その五十二則の「趙州(じょうしゅう)渡驢渡馬(ろをどし、ばをどす)」の則を提唱して、80歳で初めて住山され、120歳まで長命された趙州禅師の境涯の深さを改めて痛感した次第です。
 趙州は石橋で有名なところです。ある僧がやってきて天下の老趙州に相見(しょうけん、あいまみえる)して、「久しく趙州の石橋と鳴り響いているから、一体どんな立派な橋かと思いきや、ただの丸木橋ではありませんか」と言ったということです。これは橋にかこつけて、「天下の趙州と鳴り響いているから、一体どんな立派な大和尚かと思いきや、痩せ衰えた老僧ではないか」という、ずいぶん無礼極まる言い草です。すると老趙州は「お前はただ丸木橋だけを見て、石橋を見る眼をもっていないのだ」と即答したそうです。僧が「その石橋とはどういうものですか」と問うと、趙州は「ロバでも馬でも何でも渡すわい」と、すべての人を済度せずにはおかぬという大慈悲心を披瀝しました。ここに「口唇皮上(くしんぴじょう)、光を放つ」(平易な言葉で禅の端的を示す)といわれる趙州禅の真髄が見られます。
 『碧巌録』で雪竇(せっちょう)禅師はこの趙州禅師の円熟した家風を、「孤危(こき)立せず、道方(まさ)に高し」と賛嘆しておられます。禅僧はややもすれば棒や喝など寄りつきがたい孤危嶮峻(けんしゅん)な方法をとる人が多いのですが、この趙州禅師はそんな厳しい態度はとらずに、「ロバでも馬でも渡すわい」という平凡な日常的会話で人を済度して行かれます。雪竇禅師は「寄りつきがたい機鋒を売りにするよりも、鋭さを見せないこうした趙州の家風の方が気高いのではないか」と言われていますが、まことにその通りだと思います。
 禅では「一超直入(じきにゅう)如来地」(階梯を経ずしてひとっ飛びに如来の境地に達する)(『証道歌』)という言葉もありますが、真宗の開祖である親鸞上人の「煩悩障眼雖不見、大悲無倦常照我」(煩悩、眼を障えて見たてまつらずと雖も、大悲倦むことなく我を照らしまう)という『正信偈』の一節もまたえもいえぬ味わいのある言葉だと思います。

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