「東北・関東大震災」(月刊コラム【No.94】2011年4月)

本年1月8日より始まった京都市観光協会主催の「京の冬の旅」の長期にわたる特別公開は、3月21日をもって終了した。この73日間の期間中、一万八千人以上の方々がお見えになり、光雲寺を中興された東福門院様(大河ドラマの主人公である「お江様」のご息女である、徳川和子様)の遺徳を偲び、また光雲寺の境致を味わって頂いたかと思う。ご来訪の皆様やお力添えを頂いた関係各位には厚く御礼申し上げたい。

その63日目の午後3時前のことである。東北地方から来訪中の方々の携帯電話が一斉に鳴り響いた。東北で大地震が起こったという緊急の連絡であった。マグニチュード9,0というわが国史上未曾有の大地震によって次第に明らかになった被害は、かなりの広範囲に及び、甚大な津波被害に加えて、原子炉発電所の深刻な大事故により放射能汚染が広まり、これからの復興が非常に困難となることが予想される。

NHKを初めとするテレビなどの報道各社は、「亡くなった方と届け出があった行方不明者とを合わせると2万数千人になる」などとばかり言っているが、津波の押し寄せるあの映像を見る限り、一家ごと流されて届け出など到底できる人もいない家庭が数多くあることは容易に想像できる。沿岸ぞいの各町のかなりの人たちが行方不明になっており、そうした市町村が30ばかりあるという。あるインターネット情報によれば、死者の数は16万人にものぼるとも言う。マスコミはどうして真実を覆い隠そうとするのであろうか。

小衲は以前から原子炉建設の際などの被害想定値があまりにも低く常識的なのを危惧していたが、今回も福島原発では、識者から1100年以上前の貞観地震の例を挙げて危険を指摘されていたにもかかわらず、東京電力や国の機関が言を左右にして素直に受け容れなかったという。津波も30メートルを越えたところもあるという。大災害は予想を遥かに超えるのが通常である。ことに原発などの被害はひとたび起こってしまえば甚大な被害をもたらす。あまりにも甘い想定をもってこと足れりとしていた東電や国(特に自民党政権)は厳しく糾弾されてしかるべきであろう。

その他の地方も他人事(ひとごと)ではない。小衲は阪神大震災の直後の惨状をつぶさに見た経験から、木造建造物の多いここ京都でもしあのような大地震が起きたらと危惧し、平成18年夏の住山以来、光雲寺の建造物の耐震強度を測定してもらったところ(ちょうど姉歯氏の耐震強度偽装が世間を騒がせた直後のことである)、驚くべきことに、書院は0,2、方丈に至っては0,02という「ほとんど強度がない状態」であった。

京都市内の花折断層南部が動いたのは弥生時代だと言われているが、地震活動が活発化した昨今の状況を見れば、いつまた起こっても不思議ではない。早急に資金を集めて耐震補強や耐震新築をしたことが決して杞憂とはいえないことを、今回の大震災は示しているといってよい。120年前の濃尾地震でマグニチュード8,0という内陸部地震としては最大の規模の地震に襲われた濃尾(美濃・尾張)地方でも、「またいつ大地震が起こっても不思議ではない」と思い、しっかりした耐震補強をした禅宗の寺院を知っている。地震大国のわが国ではいつどこででも大地震が起こりうるのである。

それにしても、天皇陛下ご夫妻は、那須の御用邸のお風呂を被災者に開放され、宮内庁病院へ震災の患者を受け容れ、皇室向けの食品類を提供されておられる。しかもその上に連日時間を決めて自主停電を行っておられるということである。何という心のこもったお心配りであろうか。阪神大震災のあとでも、被災者の人たちを慰安するためにオーケストラによる演奏会を開いてくれるようにと、皇后陛下が決して潤沢とはいえぬ皇室の会計から多額の費用を出して懇願されたという秘話を、小衲は確かな筋から聞いたことがある。

大地震に大津波、その上に原発の一向に解決のめどが立たない状況を見れば、先行きは決して容易ではない。未曾有の大災害に対して、日本全国ばかりか世界中が色々と支援を表明している。私たちも総力を結集して、分に応じて東北・関東の人たちを支援し、一日も早く被災者の人たちが笑顔で暮らせる日が到来してほしいものである。合掌。

(なお、特別拝観中の浄財のすべてと志納金のいくばくかを日本赤十字を通じて義援金として送らせて頂きました。お力添え頂いた皆様がたには厚く御礼申し上げます)。

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