「熊本地震と原発事故」2016年5月【No.155】
4月14日の夜に熊本を襲った震度7の地震の余震がなかなか収まりません。半月を過ぎて地震回数はすでに千回を超え、大分県などにも連鎖して地震を誘発しております。前例を見ないほどの強い余震におびえる被災者の方々のご心労はいかばかりかとお察し申し上げます。早く余震が終息に向かい、被災者の方々に平穏な日々が戻ることを願わずにはおれません。
とりわけ熊本のシンボルとして観光の中心をなす熊本城の甚大な被害は、熊本県民の方々にとって衝撃的な出来事だったことでしょう。石垣などの再建には数十年の歳月と莫大な費用がかかるということですが、復元された偉容を見て熊本の人々に笑顔が戻る日が待たれます。また土砂崩れによる阿蘇大橋の崩落は地震被害の凄まじさを如実に感じさせるものでした。これ以上、阿蘇山の噴火などが続発しないように祈るばかりです。
しかし、しばらくは余震が続くとしましても、そのうちには地震は次第に終息に向かうのは疑いのないことです。それによって地元の人々はまた元通りの日常生活を取り戻すことができるようになるはずです。これに対して、東北大震災での福島原発事故の放射能汚染が及んだ地域は廃墟のようになっており、放射能汚染によって異形の動植物が生まれているとのことです。高濃度汚染地域ではもう帰郷することができないでしょう。政府は何とか汚染の状況を隠し通そうとしておりますが、ネットには(虚実混淆しているとはいえ)色んな情報が暴露されていて、とても隠し通せるものではありません。莫大な費用を費やして除染作業をするなどというのは単なる気休めに過ぎないのではないかという気さえ致します。
福島原発事故が起こって間もない頃、小衲の知り合いの京都在住の米人教授が妻子と共に米国に帰国しました。その先生は日本に留学していた外国人や日本人の学生などを連れて、小衲のお寺を来訪して禅の話を聞く機会を定期的に開催されていたのですが、「急用ができたので」ということで突如として帰国されたのです。後になって彼の日本人学生の一人から、「原発事故があったので、日本はもう危ない」ということが本当の理由だったということが分かりました。外国の人たちの中には、私たちよりももっと深刻にこの事故を見ている人たちがいるということを忘れてはなりません。
わが日本には未知の断層をも含めて幾多の断層があり、いつどこで大地震が起こっても不思議ではないといわれています。今回の九州地方の地震の近辺には、川内原発や伊方原発などがありますが、今回の甚大な被害をまのあたりにして、なおも原発に固執しようとする政府の方針には大いに疑問を感じざるを得ません。福島のようなことが起これば、またもや「想定外のことが起きた」で済まして誰もその責任をとらないつもりなのでしょうか。
関西圏でも大飯原発や高浜原発が「想定外の」地震に遭えば、近畿の水瓶である琵琶湖は汚染されて、関西には住めなくなることは火を見るよりも明らかです。「30キロ圏外に逃げれば安全だ」などというのは余りにも楽観的な現実無視の見方に過ぎません。今回の熊本地震に際して、知り合いの和尚方の中にはこのことを危惧する人が多くいることを改めて知りました。
小衲は宗教者として責任を痛感致します。取り返しのつかないことが起こってからでは遅いのです。私たちはこれからの若い世代の人たちにこの素晴らしい自然環境の日本を、住みよいままに保持して引き継ぐ責務があるのではないでしょうか。