「禅の実参実究」2024年5月【No.249】

 禅では、「釈迦牟尼仏がこの世に出現されて、仏法を示されたということなぞない。達磨大師がインドから中国に来られて、禅宗の初祖として法を伝えられたという事実などない」ということを申します。「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺せ」と過激に見えることを言うのも、仏祖や仏祖の法にとらわれて、自分の外の世界に法を求めるのがそもそもの誤りであると言いたいからです。本当の仏心仏性は自分が本来具(そな)えており、わが身の足もとにあるもので、それを忘れて外に法を求めるのは迷いを重ねるものだということを強調致します。

 禅の臨済宗においては、昔から老師方は主に中国の宋代などの名僧の遺(のこ)された語録を提唱することが伝統となっております。勿論、提唱に際しては、ただ語句の解釈や説明をするだけでなく、自分の体験を踏まえてそれについて述べるのですが、本当は提唱する老師自身の修行体験や工夫の仕方について率直に話すのが、修行する人たちにとって一番重要であると私は以前から思っております。ただ、一般論ではなく自分自身の工夫体験や修行体験を率直に話す老師はほとんどいないのが実情だと思います。禅の修行をする人たちも、どのように工夫すれば深い三昧境や解脱(お悟り)に到達することができるのかについて一番知りたいのではないでしょうか。

 このような思いから、私は法話などでは、自分が実際おこなった工夫の仕方や、それによって得た体験について語るのを常として、知識や解釈などではない「実参実究」の重要性を強調致しております。私が住職を拝命しております光雲寺(臨済宗南禅寺派、南禅寺境外塔頭)では現在4名の京都大学の学生さんが下宿しており、毎日早朝から掃き掃除や草引きなどの作務に励む生活を送っております。食事付きの下宿代が4万円で作務の平均月給が4〜5万円ですので、毎月お寺から彼らに対して支払う額の方が大きくなっているのが普通です。会計士さんも「これはとても良い制度だ」と称賛して下さいます。親御さんたちも下宿代などの仕送りをする必要がなく、お寺の規律正しい毎日を生活を知って、喜ばれる方々がほとんどです。私も孫の世代のような彼らを率先して毎朝2時間の作務に励むのは健康の源になると思っております。

月例坐禅会などで坐禅研修に参加することもありますが、何と言っても学生さんは学業最優先です。先日の坐禅会では全員が参加しましたが、その次の日に私は彼らに向かって、「禅宗では昨日のように中国の昔の語録などを提唱することが普通だが、私が一番大切だと思うのは、どのように工夫をすれば三昧境などの法悦の境地に至れるかということを体験した本人が率直に語ることだと思う。よければ、作務が終わってから君たちに私自身の工夫体験を話してあげようと思うが、どうか」と尋ねると、即座に「是非お願いします」という返事がありました。学生さんたちの中には浄土真宗のお寺の息子さんで、すでに住職の資格を取っている人もいますし、真言宗の大僧正を祖父にもつ人もいます。学生さんたちはとてもよく勉強に励んでいますが、それだけでは何か足りないと感じるところがあるのではないでしょうか。

 私が30分ほど彼らに自分の工夫と三昧境の実体験を話しましたら、全員実に真剣なまなざしをこちらに向けて聞き入っていました。これからも時おりこうした機会を設けたいと思います。全国の禅宗の老師様方や和尚様方も若者に対してこのようにして頂けたら、少しは衰退する禅界を活性化する機運ともなり得るのではないかと考えますが、いかがでしょうか。

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